5月21日。
前日福井のホテルに一泊して、この日はまたまたレンタカー車で出発です。
山道を、永平寺さんへ向かいました。
 
 
私どもは首都圏に住んでいますので、普段お参りは横浜鶴見にある總持寺さんへ行きます。
總持寺さんは、曹洞宗の大本山です。
永平寺さんで修行した瑩山禅師が能登に開かれたお寺が總持寺さんです。
それが明治期に横浜の地に引っ越されたということなのでした。
どちらも、曹洞宗の大本山として現在修行の中心にあるということです。
 
 
私は永平寺さんは今回が初めてです。
 
 
前日に引き続き、この日もよく晴れました。
 
 
 
 
参道脇の林の中に。
観音様かしら。
 
 
 
永平寺さんへは、次男の法要をしていただくために来ました。
回忌法要でなくても、いつ法要を行っても良いのですものね。
気持ちと準備さえ整えば。
 
 
受付をして、しばらく待ったのち、数人の僧侶によって法要を営んでいただきました。
不思議ですね。
終わってから法話を聴いているうちにぱたぱたと涙が落ちて行きました。
 
哀しいのかしら。
寂しいのかしら。
もうあきらめている。
なのになぜ涙が落ちるのだろう。
 
 
 
 
納経塔の屋根が光を受けて輝いていました。
 
 
 
山門。
七堂伽藍の中では最も古いのですって。
 
 
 
 
 
仏殿。
 
 
 
前日、宝慶寺さんにお参りをしていたので、この永平寺を建てられた頃の道元さんたちのことをはるかに思いました。
宇治の興聖寺を追われ、この越前まで、琵琶湖を渡ってさぞ遠い旅路であったろうと。
いえ、宋の国まで仏法を求めて行った道元さんや、宋から道元さんを訪ねてきた寂圓さんには、そんな道のりも新しく寺を開く苦労も、何という事もなかったのかもしれません。
 
 
 
 
俗世と交わりを断つに格好の、雪深い山奥、そこに修行の寺を建てることは、彼らの使命であり、この世に生きる意味だったのでしょう。
 
 
 
 
自分の生きる意味を知り得た人は、何と強いことでしょう。
誰に見えなくても、その人には、きっとこの日のように光が降り注いでいたのに違いなかろうと思います。
 
 
 
 
 
私は特に何宗の信者という訳ではありませんが、空海さんと道元さん、それに、遡って鑑真和上の人生には心惹かれます。
 
 
 
 
自分の存在の意味を自覚することがどんなに人を強くすることでしょう。
そして、そうして生きた人のなしたこと、遺したことは、彼を巡る人々を巻き込んでゆくのでしょう。
 
 
 
 
 
 
只管打坐、という言葉の、真実の意味が私にはわかりません。
悟り、というものがどういうものなのかもわかりません。
普通、一般の人間はそんなことを意識しては生活していないと思います。
 
 
 
 
でも、座らなくても、あるいは曼荼羅がわからなくても、宇宙の真理を直観的に感じて生きている人はたくさんいるのではないでしょうか。
無論、それを自覚し体系立てて自分の中に自覚していくには、沢山の修行や勉強が必要でしょう。
それが修行僧ですものね。
 
 
例えばこの観音様の緩やかな、穏やかなお姿に、一瞬の悦びや赦しを感じられたら、それでいいのじゃないかしら、と思ってしまいます。
 
 
 
山奥の雪深い寺、きっとその季節にはこの美しい観音様も雪を被られるのでしょうね。
でも、その中でもきっとゆったりと微笑まれているのではないでしょうか。