薔薇のことは、昨夜アップしようと思っていたのでした。
今、実は旅先なのですが、これを先に投稿しますね。
たび記事はまた、後で。





何故昨夜投稿できなかったかというと、零時近くに、友人から電話をしたいと連絡があったからで、真夜中、1時間半程話しました。

世の中は非情です。
自分の経験を思い出しました。
ぜひぜひ、笑顔を取り戻して。

彼女にエールを送りたいです。





昨夜は星が綺麗でした。
月も三日月。
でも、私のピーコには星は写るはずもなく。




彼の場所には向日葵を持っていきました。
紫陽花がどおんとお花屋さんの売り場を占領しているなか、早々とすっくりした姿を見せていた向日葵。




そんなお花屋さん、このお店は薔薇が大好きなようで、いつも沢山の薔薇を置いています。
カーネーションいっぱいの母の日ウィークも、今の紫陽花オンパレードの時期も。




私にとっては、薔薇は、他人でした。
綺麗だけれど、トゲのある花、他者を傷つける花を、好きになれない時期もあったのです。
特に、あの子の近くに飾るのは何だか抵抗があったのです。




奈良に、大和十三仏、という巡礼があるのですが、それを7年くらい前に、2泊3日で回りました。

その時に、ね、霊山寺というお寺だったと思うのですが、お寺の境内に薔薇園があったのです。
広くて、沢山の薔薇。



私は、お寺に薔薇、というのは見たことがなくて、ちょっとびっくりしました。

その頃の私は、どこへお参りしても泣いてばかりで、心が柔らかいどころか、ぐにゃぐにゃでした。
でも、その時から、心の中に起きた思いというのは、少し私の姿勢を変えるものでした。
いえ、その時はそんなに意識した訳ではないのですが、まず、薔薇に対する気持ちが少し、動いたのです。



薔薇の棘は薔薇のせいではない。

そしてね、咲き誇る牡丹も、ぎっしり咲く紫陽花も、破れた蓮も、棘のある薔薇も、仏の前では全て同じようにそこにあるのです。


トゲがあるからと言って、仏は薔薇を排除したりはしない。



厳しくキツいことを言われても、それを許容するのです。
ましてや、それがその人のせいでないのなら。





美しくてでも痛い薔薇。

でも薔薇は咲いているだけ。



そんなふうに、少しずつ考えるようになりました。
粗忽者の私は、薔薇のお世話をすると、指をひっかけたりします。
しかしそれも仏の心を受け入れることかもしれません。



昨夜は家には、白と淡いピンクの薔薇、それにキイチゴの葉を活けました。

薔薇は薔薇、薔薇のいのちを美しく咲け。