岩をたて 水をたたえて 壷阪の
庭の砂(いさご)も 浄土なるらむ

このご詠歌もとても好き。



5月3日。
 


駐車場から見上げると、お山の上に観音様が見えます。
天竺渡来の大観音様です。



西国三十三所、第六番、壷阪寺。


多宝塔と、奥に三重塔が見えます。


濃い緑に覆われた壷阪寺。
お里沢市の浪曲を、私の子供の頃は結構耳にしたものです。
妻は夫にしたがいつつ、夫は妻をしたいつつ…という、目の見えない夫とそれを治そうとする妻と、最後は身投げしたところを観音様に助けられるというお話で、その、お里沢市の像が境内にあります。
こちらは、眼病封じのお寺としても有名なのです。


 
本堂は八角円堂で、ご本尊は十一面千手観音様です。
読経、補陀洛、納経、ご朱印を受けて、お堂の中を巡ります。

八角円堂を出て、広い境内を歩きます。


三重塔。
貫禄と品格がありますね。




インドで彫刻したものを、日本で組み上げたレリーフ。
仏様の一生を表しています。


左手前に、『藤原京』『ライン』という文字の入った石碑があるのですが、これは、『藤原京の聖なるラインの終着地』と書いてあるのです。
(きちんと撮れたつもりでいましたが、切れていました・・・・

藤原京の朱雀大路から真っ直ぐ線を引くと、高取山、この壷阪寺のある所に繋がると言うのです。
天武、持統天皇陵、高松塚古墳、キトラ古墳、などが、おおよそですがその線上に位置しているということのようです。
また、時期的にも、壷阪寺が建てられた703年は、前年に崩御された持統天皇を火葬した年であるというのです。(因みに、天皇の火葬は持統天皇が初めてであったとのこと。)
つまり、壷阪寺は、藤原京にとっては、聖なる山だったのではないかと。

そういう意味でも、古くから衆生に仰がれてきたお寺にはそれなりの力があるのでしょうね。

壷阪寺は、私はもう何度か来ているのですが、そうした説は、今回初めて興味を持ちました。
私にとって、このお寺は、新婚旅行に訪れた寺院(グアムとか、ハワイとかがハネムーンの代表格だった時代に、京都奈良へ旅した私達夫婦って…ご想像下さい)であり、大事な人を喪って嘆きながら来たお寺であり…



新婚旅行の時には、インドから送られてきていた彫刻された石は、境内に置かれており、まだ組み上がっていませんでした。
二人で、お揃いのスタジャンとトレーナーを着ていたことも、思い出すと気恥ずかしい。


大事な家族を喪ってすぐの夏、彼が一度も訪ねることのなかった奈良へ、小さな写真と共にやってきたとき、新婚旅行の時の石が巨大な観音様に組み上がった姿を夫と二人で拝みました。
ずっと階段を登った高みにいらっしゃいます。





みはるかす大和。



涅槃仏。
こちらもインドから招来されました。
あの夏、この周りでたくさんの風車が(あれはどういうことだったのでしょうか、お寺中に風車がありました)熱風を受けてカラカラ回る光景が、無常に思え、目に焼き付いています。


その後、夫の巡礼について来たとき風車はありませんでした。
今回もありません。
あれは、夏だからだったのでしょうか。



大きな釈迦如来像。


大石堂。
中はアジャンタの石窟寺院をモデルとしたお堂だそうですが、石造りのため、ひんやりとした空気の中、隙間なく施された彫刻が凄くて圧倒されます。



釈迦如来様を前から撮らせていただきました。


十一面千手観音様、普賢菩薩様、文殊菩薩様。
後ろは三重塔。
右に見える四角な建物は先程の石堂。


このお寺には、ただ巡礼のお寺というだけでなく、自分の道のりとリンクする様々な思いを呼び起こす何かがあるのです。