学生の頃から大好きな日本漢詩に、新島襄の『寒梅』という五絶があります。


梅は時期が来たら、風にも雪にも動じることなく特に誰かと争ったり不要な力みを持つこともなく、あらゆる花に先駆けて花開く。


新島先生の開いた同志社大学には、寒梅碑というのがあって、同志社の学生さんは「寒梅」とちょっとだけ違うこの碑の句を大学の学問理念として覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

それ故にでしょう、五絶の解釈は、「一寒梅」を「真理」と考え、どんな困難な状況でも真理というものは汚されることなく、時期が来れば立ち現れてくるものだ、と学生の頃学んだ記憶があります。先輩から聞いたのかもしれません。

学究の姿勢として座右の銘に置きたい詩ですね。


私は、寒梅は真理ではなく、人だと(勝手に)思っています。

梅は梅らしく(その人はその人らしく)、身の丈にあった努力と研鑽を積んでいく。どんなことに遭遇しても自分を見失うことなく笑って(自然体で)やり過ごして行く。続けるのは自分の内側を研磨することで、他人と比べて焦ったり自分の器に合わない努力をすることではない。そういう梅花はいつの日か全ての花に先駆けて(というか他の花は眼中にない感じですかね)蕾を解いて花開く。

…と自己流に解釈しています。

学生の頃は、転句の意味がよく分からなかった。
マジメ(?)で融通がきかないので、努力しないで魁を占めるなんて、そんなのおかしくない?なんて考えていたのですね。

なんと幼かったのでしょう。


人生いろいろなことがあるのでしょうけれど、寒梅のように笑って悲劇に耐え得て潔く咲けたらどんな花でも美しい。



季節外れの話題なのですが、来年大河ドラマで新島先生の奥様のお話をやると聞き、ちょっと書いてみたくなりました。

奥様の八重さんは会津生まれの女傑と聞いています。

新島先生も密航して勉強して来た人ですから、気合い充分の人だったのでしょうね。

面白そうなご夫婦であったろうと想像します。

ちょっと見たいドラマかも。