2026年 8月13日(木) 7:21
長野県松本市中央
この旅2泊目のお宿にてすっきり目覚め、シャワーを浴びてベッドでゴロゴロ…。
朝食の時間になり、階下のお食事処へ参りました。
アンティーク調の雰囲気を醸し出す空間は落ち着いた、とても素敵な雰囲気なのです。
「おはようございます。」「おはようございます。」
他に客はおらず、窓際のカウンター席をチョイス。
スタッフ様が、前日希望していた和食メニューをお運び下さいました。頂きます!
胡麻ドレッシングがたっぷり掛かったサラダ、焼き鯖、ひじき煮、野沢菜漬け(?)、追加で取ったきた納豆、味海苔と野菜ジュース。
そして右下の味噌汁は、油揚げの下に大根と豆腐も入っていて具沢山で大満足なのです。
そしてそしてずっと気になっていた右上の「松本市会田の赤玉玉子」と「自家製だし汁」をご飯に掛け、
玉子掛けごはんにして頂きました。旨~い!
緑茶を頂いて窓の外を見ると、晴天の下松本駅に続く通りを、人々と車達が行き交っていました。
「今日は暑くなりそうですねぇ。」
スタッフ様同士の会話かと思いスルーしたのですが、私に向けられていたとしたら大変申し訳ない…。
「コーヒーでも飲んでいってください。ごゆっくりどうぞ。」「あっ!?、はい、ありがとうございます。」
今度はスルーしませんでした。でも沸騰したホットコーヒーがとても熱かったので氷入れちゃいました。ごめんなさい…。…。
ごちそうさまでした!
心ほっこりして部屋に戻り、のんびり時間を満喫した後フロントへ。
「追加料金はございません。ありがとうございました。」
「ありがとうございました。お世話になりました。」
再び松本に泊まらせて頂く時は是非このお宿へ。
少し時間があるので、松本市内を歩きました。
装飾時計が時を告げていて、遠方には高原方面の山々が伺えて。すぐに、「美しい街並みだな!」と感じます。
「中央大手橋」を渡りゆくと、
地元の街中には決して見られないような清流が流れていました。
【松本城と女鳥羽(めとば)川】
松本城の周りには、東側にこの女鳥羽川、南に薄(すすき)川、西に田川、西北側には大門沢川が、まるで自然の防壁を張り巡らされたように流れている。
中でも女鳥羽川は400年以上前、城の三重の堀の更なる外堀として、防衛と治水を兼ねて流路が変えられた。
江戸時代には武家屋敷と町人街の仕切り線、火災発生時の火除地、共同空間、水上交通路等の役目を果たし、以後城下町・松本の繁栄をずっと映し続けてきている。
橋を渡り川沿いの右岸をゆくと、上流の橋が見えてきました。
「千歳橋」ですね。
この橋にも青空の下で彩を放つ「松本ぼんぼん」の提灯が掲げられていました。
では、何十年ぶりか再来訪の、気になっていた場所へお伺いさせて頂きます!
欧米人や東洋人の観光客達(←自分も観光客じゃん)を掻い潜って敷地内へ。
見えてきたよ~。
松本城! 天守入口への待ち時間は「140分」でした。なのでこの中には入りません。
お堀の外周を時計回りに歩きながら、その造形を楽しませて頂きます。
やはり私は遺伝なのか、こういった建築物を拝見するのが好きなのです。
【松本城】
黒漆塗りの壁が映える天守は、現存する五重六階の構築物としては日本最古を誇る。戦国時代の永正年間(1504~1520年)に、小笠原氏が支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれている。
現天守の構築は文禄年間の1593~1594年。総面積の三分の一を水堀が占める。1930(昭和5)年国宝指定。
道を隔てた西側には「蓮池」がありました。
鯉たちも泳ぐこの池では茂る大きな葉の上に、豪快な、否、
可憐な花が咲いてて、暫く見入りました。
一旦お城の敷地外に出てあっ!
白鳥(コブハクチョウ?)もいる、北側の堀外周にある市道沿いを歩きます。
神社前を通る県道のセンターライン上には大木が鎮座されていました。
こんな景色からも、街の長い歴史が感じられます。再びお城敷地内へ…
木製の橋(二の丸裏御門橋)を渡ると広大な敷地があり、その向こうに天守が伺えました。
【二の丸御殿跡】
敷地約1,900坪、部屋数約50。当初は藩の政務を執り行う副政庁として造営された後に正政庁となった。
廃藩後は一時薩摩県庁舎として活用されたが、1876(明治9)年に焼失。
竣工年は1594(文禄3)年、1633(寛永10)年等、諸説あり。
天守の周りを一周しましたね。
ご当地では過去も今日も、ほんの少し滞在しただけでとても心動かされて、
でもまだまだまだ、その魅力を把握しきれていません。
街にじっくり滞在して、周辺を色々巡ってみるのも絶対ありだと思いました。
でも今回はごめんなさい、次の目的地へ向かう為に松本駅へ歩きます!
つづく



























































