一昨年末から昨年末にかけ、僕は初めて心因性の高血圧症になりました。
東日本大震災による、ストレスと震災やその後の余震によって慌てる同僚を立場上、冷静に対処させるコトをしなければならなかったコト…
また、業績悪化や上記以外での入退職の人事的な動きをその他の同僚に影響の出ないように本人を誘導したり、親族においては、肉体的に抜き差しならない状態の方が片手で足り…
等の状態が重なり、尚且つそれは僕個人責任においての通常業務ではないという…
もちろん、ある意味しなければならないからしていたワケですが…
人事の話以外は全てが継続中で、体力的にも精神的にもアッパーに来ていたのだと思います…
ただ、慣れちゃったせいなのか…
知らないうちに正常値範囲内に収まりました…
今まで載せなかったのは、ソレが負けを意味するから………
現代医学を否定するかのように今治ったのは、その負けん気があったからだとは思っていますが、
ただ、ソレも本人のエゴでしかありません
だから、どうした?程度の話なんです(゚-゚)
…………
現状報告はこの辺で…いきなりですが、
人が生きていく上で重要なのは、環境や職業ではなく本人の生活に対するバランス感覚なのだ
というコトを最近は考えています。
バランスという便利な言葉も、人との意志の距離観、生活に関する金銭感覚、人生における家庭に対する価値観、仕事に対する距離観、所属コミュニティに対する距離観、非所属コミュニティに対する距離観など、を代表する記号として今は使っていて、
それらの関係性を、能動的か受動的か…また先鋭的か柔軟か…独断的か合議的かなどのはたからみると必ずしも対照的ではない物差しで感じ、そな組み合わせで理解しようとしています
本人に余裕がないと、必ずしも人には優しくできません
優しさは(本人の中での)易しさなくては語れない、とうコトもこの一年で判りました
ただ、残念なコトに僕はまだ全てをやり切っていません…
なので、また一年後には違う視点でモノを偉そうに語っているかもしれない…
昔の僕とは変わっていないつもりですが…
少なくとも、ゆっくりとした変化の中での現在の思考は…
確かに、そのいろんなバランスがお互いに成立した上での対処で、精神的には表層部の整合性を合わせるコトで棲みわけを図り、
現実的(物質的)には共有または共存する
という手法を取るようになってきています
まぁ…全人的に見ての改悪でありそうだなとは、判っていますが…僕にはその情報処理をしないと、
生きていけない状態に今はあるというコトです
人として、人間くささやらしさを是とするのであれば…
コレはまさに改悪…全人的に感覚を研ぎ澄まし、良いモノを良いと断ずるコトが許される職人の世界とは、その質の部分は明らかに違います
僕はどちらが良いとか悪いとかは言いません。なぜなら、ソレは自分を否定するコトになるからです
しかし、本当のトコロはソレもバランスだと考えたい…
ソレらの全てを総て含め、優しさが足りないというのは…たぶん僕の余裕が足りないからだと思います
ただ、本質的には僕は変わってないと思います…
なぜなら、僕は自分が優しい人であるコトが大好きだからです☆
ただ、考えのその大半を全人的な優しさを持って臨んでいた頃に比べると、今は薄っぺらいかもしれません
僕の稚拙な考えや表現で、気分を害された方が居たのであれば、心より謝罪します。