情報としての学問、記号としての学問、実学としての学問(改) | ぐるーみぃさんの自己満足日記

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自分の考えてるコトを…

自分の理屈で書いています(- -;)






SEEとLOOKの違いについて…



当たり前の様にみんな学校で勉強しますよね(゚-゚)






このSEEとLOOK、そもそもスペルあってるか?

と訝しがるほど机から遠のいて幾数年…

それでも、それを確認せずに堂々と公共の媒体に載せてしまう程の図々しさを身につけた自分が…

これまた可愛くてしょうがない等と言える…








……………





いやいやいや…



こんな中途半端な間接的自己紹介をしたいワケではありません(- -;)








まぁ…だらだらと長く書き続けるのにも飽きたので、何が言いたいかを整理するとですね…(゚-゚)








………目的を持たせる前段階からの情報が多くねぇ?



ってコトなんです

あっ!勉強に対してですよ(゚-゚)



勿論、やらなくていいなどと言うつもりはありませんが…

コレとコレをどこまでやれば、ここまで解るようになります的なアナウンスは何もないまま…

続ける才能又は環境のある人間だけが、その先が見える…
また見れるというのは…



そこまで盲目的に、システムを信じていいのか?
という気がするんです








あぁ…体制批判ではなく、目的意識の持たせ方の話ですよ(゚-゚)





まぁ…理屈としては当たり前なんですけどね…
全てが平等などというコトはないんですから



勉強はある程度までは詰め込まなければ、先は見えてきませんから…





でも、ならば義務教育って何だろう?
一般教養って何だろう?ってなってしかるべきだと思うんですよね



その基準が仮にあったとしても、一般の人がその基準を知らない様では一般教養とは言えないですよね(゚-゚)








動物でも、人間でも、家でも、国でも…残っているモノに残るだけの価値があったと優先順位的に考えられがちですが

主観を外せば、



残っているモノとは、残る強さを兼ね備えていただけで、そのモノ達全てを、一つの能力という切り口で横並びにした時の絶対的な優劣ではありえません





それと同じように、



勉強を続けられる環境としての因子は、その子の能力に比例したものでは、必ずしもないはずです





そう考えた時に…個人が勉強を続けたいとする力は個人の中から出てくるモチベーションしかないはずなんです





それは、反抗心であってもライバル心であっても向上心であっても構いません☆



その中でも、とりわけ反抗心とライバル心は環境的要素が強いワケですよ(゚-゚)

だって家庭や社会、学校やその中のクラスの一員としての自覚から出てくる衝動ですから☆





では、向上心は何から生まれるのでしょうか?





それは、そのコの拙いまでもこうなりたいという目的意識の為せる衝動、

もしくは、ソレが楽しくてしょうがないからやっている内に、見つけた自分なりの前向きな衝動だと思うんです





小さい頃って将来なりたい職業や夢ってありましたよね(゚-゚)







僕にもありましたよ、今となっては恥ずかしくて言えませんけど…





その後で、皆がそれぞれの挫折をしながら現在に至るワケですが…





時間と環境の問題がなければ、それ程難しい話でもなかった様な気が今ならします(゚-゚)





ソレを超越するだけの強さを、目的意識として植え付けてあげるコトが、義務や一般など大層な名前の付いている、義務教育や一般教養の情報としての在り方なのでは…








………





と甥っ子や姪っ子の無邪気な笑い顔を見ながら、そんなコトを考えました(゚-゚)







でわ☆