先日…記事で、中継の意味についてチラッと触れました
中継とはナカツギと書くので…
起点と終点が存在するコトになります(゚-゚)
まぁ…当たり前と言われてみれば当たり前…
僕は放送業界ではないですが…
コレを元に考えると…
~からの生中継…というのは、〇〇放送の※※という番組を起点として…中継(地)点を通して終点(視聴者)に届く、というコトになります
僕は、テレビを見るとき…
~からの中継と言われても、その時、何処のメディアから発信されている情報なのか(゚-゚)?
まで考えて見ていないコトが多いです
頭の出来のあまり良くない僕だけが、そうなのかもしれませんが…
大体、こういう勘違いと言えないような勘違いは…一人間違えていれば、同じ様な考えの人間がたくさん居ると思うので…
世の中にはたくさん、少なくとも中継という言葉を記号化して認識している人がいるのではないかと考えています
言葉の記号化…
恐ろしいですね…
コレを看過するならば、明治の日本語の標準語作成の折…
当時の東京の山手の辺りで使われていた武家言葉を基本に、漢字、平仮名、片仮名表記の体系に設定する必要がなかったコトになります
西洋列強に、追い付け追い越せの時代(まだ社会の成熟度として独自のモノを作り上げたか?というと少し疑問は残りますが…)
日本語をローマ字表記にしてしまおう…という鹿鳴館的発想のある中、今の形に落ち着いたのならば…
漢字、平仮名、片仮名を正しく理解する必要があるのではないかと思うんです
おセンチな懐古主義では無いんですよ(゚-゚)?
…新しいものや出来事、流行の言葉やモノを否定するツモりも必要もありません
…元々あるモノをキチンと継承しつつ、崩しているのを理解して、ソレを楽しめばいいんじゃないでしょうか?
そういった意味で、ただ目の前にあるものを感覚的に、カッコイイ…〃∇〃♪
と断じてしまうのは、感覚の退化だと僕は思っています
ソレは感覚の記号化に他なりません…
では…どうすればいいのか?
ソレに関しては、今の僕の段階では説明が難しいのですが…
先ずは、自分の確固たる物差しを持つこと、記号化せず、知識というパッケージにする必要があるんだと思います
感覚というとても不確かな物差しを持っている人間は、自分の持っている文化という規範を物差しにしなければ…
世界共通の物差しである…お金と自分のエゴに負けてしまうコトになります
言葉の意味、生活スタイル、味、知識、学問などの記号化が進む中…
もっと原点回帰をしてから新しいモノを作っていく可きだと考えます
では、人の成長過程でどうやってソレを身につけるのか?
………
その為の〇〇であり、※※だと思うし、それを統制するための☆☆は…抑えるコンセプトの見直しと戦略が必要なんだと思います
社会に属しているとはいえ、個人の責任を放置するツモりはありません…
刷り込みや教育という意味では…
…………コレに関しては、僕が親という立場になってから発言したいと思います
終わり