社会人向けの数学講座も、今日で無事三回目が終わりました\(^^)/富士山麓での仕事が思いのほか雑用が多くハードなので、毎週日曜の朝から東京で講義ってのキツいです。専任教員になって他の仕事なんかする必要ないのに、何故働くのか
…それは、戦い続けるのを辞めたら、自分じゃなくなるからです。ボクシングを続けるのと同じような理由ですかね。
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私は数学の博士の学位を持ってますが、博士号持っている人なんてゴマンといます。ただ、その分野の権威とか一流の専門家は一握りです。私の指導教授は、
「博士号は、その分野で生きて行くための最低限の品質保証マーク程度のもの」
と公言してました。例えば、数学の博士号なら、数学の本を自力で読んで理解し吸収出来るという保証でしょうか。私の役割は、その保証マークを活用して、世の中が必要としている数学の難解と言われる分野を、代わりに勉強して分かりやすく構成し直して伝えることだと思ってます。
大学で統計学とかフーリエ解析とか色々な講義をしましたが、誰に教えてもらったわけじゃなく、「この授業してくれ」と言われたら、勉強して講義します。他の先生も同じじゃないでしょうか。新しい科目を依頼されるということは、勉強して自分の知識が増えるということです。授業の準備段階で勉強していると
「わ、これ面白い、深いわ!」
ってワクワクします。知ってる内容でも、人様に教えるとなると勉強し直すので、また新たな発見があったりします。教えるということは、自分も成長することだと思ってます。
社会人の講座で依頼されてる分野は、自分も勉強して極めたい所だったので、何としてもやり遂げたかったんです。数学の新しい内容を勉強して吸収することは、書物との格闘です。脳ミソの格闘技。勝てば理解出来るし、負ければ意味不明、引き分けたりリベンジしたり。
心が年取らなければ闘える