ヤブコウジは、「藪柑子」と書く。形こそ小さいが、その常緑葉や

赤く熟した実がなんとなくミカンに似ることと、山裾やその藪蔭などに

よく生えることから、万葉時代にすでに「ヤマタチバナ」山橘、

夜麻多知姿奈と名づけられ、後にヤブタチバナ、と呼ばれる。

 

 柑子や橘はともに古くはミカンを表現した言葉である。

他の草木の大部分が落葉し枯れ果てて荒涼とした侘しい厳寒

でも、艶やかな濃緑色の葉の間に、ひときわ鮮やかな実をつける

ヤブコウジは誠に美しく、これが意外と良く目立つ、その上、

小さいながらも寒さに負けず紅実と緑葉を永く保つ健気さ、可憐さ

が心打つ。それゆえか、万葉集には五首詠まれている。

消え残る雪の間でも欲目立つことで、恋歌に引用されている。

 

 「貞丈雑記」には、「祝儀の飾り物に用いる山橘といふものは

ヤブコジの事なり。このもの雪霜にもしほれず、細に赤き実なる

物故祝儀に用ふるなり。正月の祝いにも是を用ふるなり」とある。

ヤブコウジは昔から縁起のよい、嘉祥の木とされている。

 

  明治の中期にヤブコウジブームが起こり、他の植物では

考えられない驚くべき投機の歴史を秘めている。

 明治20年代ころ新潟県を中心として栽培と売買のブームが

起こり「狂気の沙汰」といわれる現象を呈し、当時は県令を発し

本種の売買を禁止して熱狂する民衆を取り締まったという。

しかし、大正中期まで幾回かの好、不況があったとはいいながら

続いたという。かっては、おもとや、観音竹などのブームもあった

らしいが、長く続くことは、ヤブコウジには他の物よりも大ブームを

起こすだけの、素晴らしさや、美しさや、価値があったのかも知れない。

 

 

本日の絵手紙  「ヤブコウジ」

熊野古道の蛇形地蔵から湯川川を越えて

湯川王子まで行った。

途中の雑木林の木の脇にひっそりと小さな

ヤブコウジが生えていた。5~7ミリの赤い

実がなければ見落としてしまったであろう。

10月頃結実してから今までひっそりと残って

いたのだろう。

 

 

2020-02-26    lupinsansei