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39-simaneのブログ

島根県在住 
還暦を前に喉頭癌が発覚(STAGEⅠ)
放射線治療後ブログを開始いたしました

”人間万事塞翁が馬”と言い聞かせ
能天気だね と思われるよう歯を食いしばり日々を暮らしています
備忘録も兼ねてブログを更新しています

隠岐の島では

尊王攘夷に駆られた住民が

 

松江藩により

慶応3年(1866年)

武芸差し止めを命ず
(農民隊組織より4年)

 

同年5月

島後(現・隠岐の島町)の

有志73人が「文武館」設置の

嘆願書を郡代に提出した

 

同年12月

「王政復古」

なされた

 

翌慶応4年

明治元年

全国における

動きが活発になるにつれて

 

騒動の震源地から隔絶され

意図的に知らぬ顔されている

 

いち

地方の離島

でも連動し

新世界への胎動が

・・・過去から繋がった細い糸が

密かに

紡ぎ出される

 

1月3日~6日:鳥羽伏見の戦い

1月5日:山陰道鎮撫使 西園寺公望が西下

2月28日:鎮撫使から 隠岐公文あての文書を

 

松江藩使が無断開封

 

3月15日:島後(現・隠岐の島町)庄屋大会を開催し

 

郡代追放を巡り 対立

(重い年貢に苦しむ農山村部・・・郡代追放を唱え

「正義党」と名乗る

 

一方、商いで栄える西郷には慎重派が多く

「出雲党」と 呼ばれた

 

3月19日:武装農民三千人余

夜明けから陣屋へ

 

「正義党」・・・決起を決めて四方に檄を飛ばした

 

郡代、屈服状を書き 藩船へ・・・

 

翌3月20日:住民による自治政府を樹立

 

三千人余・・・全戸から男が一人づつ加わった数

 

「王政復古」による天皇陛下による「王土王民知性」への

「ご一新」に寄せる

世直しの期待感が「農民…正義党」を動かした

 

結果的に

「百姓一揆」と「独立運動」 の両輪となった決起であった

 

明治元年3月20日

隠岐住民による自治政府が樹立されたのだ

 

ここから

一気に

時代が動き出す

 

同年

慶応4年(明治元年)

 

 

4月13日:太政官 隠岐取締令を松江藩に出す

5月10日:松江藩兵が島後

西郷(さいごう)にある陣屋を包囲して発砲。

   自治政府の14人が死亡する

5月15日:長州、薩摩藩の両軍艦がが西郷港

5月16日:松江藩兵の大半が西郷から退去

 

明治2年(1869年)

4月12日:隠岐県の初代知事 真木直人着任 廃仏を奨励

 

4月~6月:島民による「廃仏毀釈」が激化する

 

翌 明治2年

新政府に・・・1月初めに年貢半減令を出す→農民は歓喜した

だが・・・1月末、財政的に立ち行かぬ事を悟り取り消される

 

様々な立場の人、様々な環境下にある人、

様々な星の下に生まれし人々たちの物語が

過去に埋もれていた「絶望」から

新たに生み出されようとしていた

 

人間は絶望の先に

神を本当に信じていられるのか

 

神にすがるのか

 

人の世に流され、自己に潜む

理不尽に対抗する

「もの」

 

に繋がるのか

 

個は交じり合い

新たな

個を生む

生まれた個は

おのれの人生に絶望し

 

新たな

絶望を生む出していく・・・

 

漸く

本章へとたどり着く

 

本編はこれから