隠岐の島では
尊王攘夷に駆られた住民が
松江藩により
慶応3年(1866年)
武芸差し止めを命ず
(農民隊組織より4年)
同年5月
島後(現・隠岐の島町)の
有志73人が「文武館」設置の
嘆願書を郡代に提出した
同年12月
「王政復古」
が
なされた
翌慶応4年
明治元年
全国における
動きが活発になるにつれて
騒動の震源地から隔絶され
意図的に知らぬ顔されている
いち
地方の離島
でも連動し
新世界への胎動が
・・・過去から繋がった細い糸が
密かに
紡ぎ出される
1月3日~6日:鳥羽伏見の戦い
1月5日:山陰道鎮撫使 西園寺公望が西下
2月28日:鎮撫使から 隠岐公文あての文書を
松江藩使が無断開封
3月15日:島後(現・隠岐の島町)庄屋大会を開催し
郡代追放を巡り 対立
(重い年貢に苦しむ農山村部・・・郡代追放を唱え
「正義党」と名乗る
一方、商いで栄える西郷には慎重派が多く
「出雲党」と 呼ばれた
3月19日:武装農民三千人余
夜明けから陣屋へ
「正義党」・・・決起を決めて四方に檄を飛ばした
郡代、屈服状を書き 藩船へ・・・
翌3月20日:住民による自治政府を樹立
三千人余・・・全戸から男が一人づつ加わった数
「王政復古」による天皇陛下による「王土王民知性」への
「ご一新」に寄せる
世直しの期待感が「農民…正義党」を動かした
結果的に
「百姓一揆」と「独立運動」 の両輪となった決起であった
明治元年3月20日
隠岐住民による自治政府が樹立されたのだ
ここから
一気に
時代が動き出す
同年
慶応4年(明治元年)
4月13日:太政官 隠岐取締令を松江藩に出す
5月10日:松江藩兵が島後
西郷(さいごう)にある陣屋を包囲して発砲。
自治政府の14人が死亡する
5月15日:長州、薩摩藩の両軍艦がが西郷港
5月16日:松江藩兵の大半が西郷から退去
明治2年(1869年)
4月12日:隠岐県の初代知事 真木直人着任 廃仏を奨励
4月~6月:島民による「廃仏毀釈」が激化する
翌 明治2年
新政府に・・・1月初めに年貢半減令を出す→農民は歓喜した
だが・・・1月末、財政的に立ち行かぬ事を悟り取り消される
様々な立場の人、様々な環境下にある人、
様々な星の下に生まれし人々たちの物語が
過去に埋もれていた「絶望」から
新たに生み出されようとしていた
人間は絶望の先に
神を本当に信じていられるのか
神にすがるのか
人の世に流され、自己に潜む
理不尽に対抗する
「もの」
に繋がるのか
個は交じり合い
新たな
個を生む
生まれた個は
おのれの人生に絶望し
新たな
絶望を生む出していく・・・
漸く
本章へとたどり着く
本編はこれから