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39-simaneのブログ

島根県在住 
還暦を前に喉頭癌が発覚(STAGEⅠ)
放射線治療後ブログを開始いたしました

”人間万事塞翁が馬”と言い聞かせ
能天気だね と思われるよう歯を食いしばり日々を暮らしています
備忘録も兼ねてブログを更新しています

文久元年(1861年)

大国 ロシア軍艦は対馬の一部を

約半年間占拠

 

文久3年(1863年)

松江藩は

隠岐の島に480人の「農民兵」を組織した

農民の武装化は「攘夷」に傾くのは

時代の要請だったと言える

 

だが、その4年後

慶応3年(1867年)

 

今度は、松江藩から島民に

武芸差し止めを命ずる

わずか4年での方針転換だ

 

隠岐の島は特別だ

古くから「流刑の地」である

それも

尊い方、王朝の政争に敗れたような

下にも置けない貴人の島である

 

隠岐の島は

島前と島後からなる

 

島前は大きく3つの島から成立し

島後は大きな島から成り立つ

 

隠岐の島は不思議な島だ

 

島自体には「名称」が付いていなかった

過去形になるのは

平成の大合併で

 

島後が「隠岐の島町」と名前を付けた

 

以前は

隠岐郡西郷町 であり

隠岐郡布勢村だった

 

今は

隠岐郡隠岐の島町 西郷で

隠岐郡隠岐の島町 布勢になってしまった

 

これには島前3島が良い気持ちではない

 

島前3島も「隠岐の島」だから

島後が一手に「隠岐の島町」の名前を

自分のモノにしてしまった事が

面白くある訳が無い

 

各島で文化が違う

 

慶応3年(1867年)5月に

松江藩より

武芸を差し止められたが、熱が冷める事は困難だった

 

5月には島後の有志73人が

「文武館設置の嘆願書」を郡代へ提出したが

 

12月には「王政復古」となる

 

振り上げた「こぶし」の下ろし場所に

困惑する事態になった