備忘録No.34
韓国から撤退した後も会社の整理の為たまに訪韓していた。年々韓国でのアパレル関連産業が衰退していく様を見て、韓国からの撤退は正解であったと感じる様になりました。小生が韓国で8年ほど商売をしていた頃は韓国での観光も遊び?も全くせず、社の仲間と屋台で飲む程度で、韓国へ遊びに行くツアー等にも全く興味がなかった。
その当時は韓国へ頻繁に行っている事が分かると色目で見られるかなり迷惑した。
イテウォンの事務所の近くに「ヨボクラブ」と言う有名なオカマクラブがあり、そこのオカマが小生のショップに買い物で頻繁に来てくれました。そのクラブには付き合いでたまには行っていました。数年後、横浜の韓国系の飲み屋さんで、ヨボクラブで知っていたオカマにバッタリ会ってビックリ!彼女?彼は来日して翻訳の仕事を始めたとの事、経歴はソウル大学を卒業し、早稲田大学に留学し、徴兵されて軍隊に入隊した時に目覚めて?しまったとの事。その後彼女?彼のオカマ仲間と深夜営業のオカマスナック経営を手伝った事もあり、中々経験できない思い出の一つです。
元々アパレル業界や美容業界には同性愛者が多くおり、小生にはあまり抵抗がありませんでした。

アップした写真の向かって左側はパクバレンティノと言ってデビュー当時の美川憲一さんの衣装を全て作成していたデザイナーです。釜山大学を卒業して日本に留学経験もあり、横浜に事務所も有り、韓国の江南区に事務所と工場を持っていました。彼は5年前に鬼籍に入ってしまいました。小生は葬儀に出席できませんでしたが、美川さんが出席してくださいました。