備忘録No.35
韓国での仕事から撤退してからが中々先の見通しがたたない状況が続きました。残務整理のうち借入金の返済が大変で、横浜の鶴見の事務所で小売業もやりながら、タクシーのアルバイトもはじめました。朝4時半に出勤し、翌日の未明まで仕事をし、翌日は事務所で仕事をし、睡眠時間が平均で3時間ほどしか無く、8ヶ月後に体調を崩しタクシーのアルバイトはやめました。未だに2種免許は持っていますが、2度と乗りたくはありません。
このままでは先の見通しがつかないと考え、横浜の保土ヶ谷にショップを新たに開店し、物件がそこそこ広かったので、ショップの一部に仕切りを作り、クリーニングの取り次まで並行して始めました。ショップの営業時間は、朝9時から深夜の2時までと長時間営業で店休は正月三ヶ日のみで営業していました。小生は殆ど保土ヶ谷におり、鶴見のショップはパートさん任せでした。ある程度借入の返済目処がたち、業務拡大の欲が出始めてしまい、此れがまた苦難を招く原因になってしまいました。知人の繋がりで横浜駅西口のショッピングビル(横浜駅の直ぐ隣)でショップを共同経営しないかとの話にのり、60坪のショップを開店、出店条件が補償金無し、売上家賃と言う出店条件でした。何故この様な好条件?かと言うと、中々出店希望社が無く、出店希望があり契約が成立したら我々は退店すると言う条件だったためです。約9ヶ月で撤退しましたが、この間にそこそこの利益を上げられたので良しと思っています。
この頃、夜の商売にも手を出し、横浜の関内と言う場所で知人3人で小さなクラブも経営していました。水商売は浮き沈みが激しく、小生の性格から全く合わないことは分かっていましたが、大学の後輩から監視役として参加してくれと言われ、仕方なくと言う状況でした。夜の商売と言うものは必ず裏社会の管理賃の様な支払いがなんらかのかたちで発生するのですが、我々の店には全く連絡がありませんでした??
案の定半年後に、もう1人の知人で店の運営を任せていた知人に売上の持ち逃げをされてしまい、従業員のギャラの支払いに四苦八苦し閉店する事にしました。
持ち逃げした知人は元力士で千代の富士の一番弟子でした。1年後に京都で発見し捕まえたのですが、持ち逃げされたお金は回収が出来ず、2度と水商売には手を出しませんでした。