お墓参り
今日は父方祖父の命日。母と家族を伴って、車で墓参りに行ってきました。
我が家のお墓は今の家から車で高速道路を使うと1時間程度の所。
午前中から夕方までは天候にも恵まれて、少し汗ばむ中でお墓参りをしてきました。
お墓に樒(シキミ)と線香をお供えして、墓石に水をかけ、手を合わせて・・・。
墓石の3面にわたって戒名が刻まれているのですが、江戸時代の中期あたりの元号も読み取れ、
我が家の歴史のつながりを感じさせてくれます。
とは言え、次男坊である私は、この墓に入れるのかどうか、、、、(w
それはさておき、
お墓にお参りに来ている人は、この天気の良さからか、けっこう多く居ました。
ただ、やっぱり年配の方が多く、なかなか同年代の方を見かけることはありませんでした。
こういう慣行は徐々に廃れたり、重視されなくなってきているのかな?と思い、少し寂しい気がしました。
しかし、お墓というのは不思議なもので、私だけかもしれませんが、死んだ人が眠っているというのに、
どことなく懐かしかったり、どことなく清らかな気持ちになります。
そして一番興味深いのは、今日、私がしてきたような行いを、全く同じ場所で、異なる時代の先祖達が
繰り返し行ってきて、全く同じ場所に立ち、同じ場所に線香を供え、同じように墓石に水をかけたのだと思うと、
過去の様々な時間と繋がったような気持ちになれるということです。
その時、みんなが先祖のことを思い、祈りを捧げたのかと思うと、顔や名前もはっきりわかっていないのに、
血のつながりを感じ、逆に私自身が「今を生きている」事を改めて感じる事ができるのです。
我々が時間という海を航海する中で、何代も漕ぎ手を受け継ぎながら、今という時まで我が家系の船を運んできた。
そして、今まさに、現在という瞬間的な時の風を真艫に受け、未来に向かって漕いでいる私達。
とてもドラマチックでわくわくするような話だと思いました。
しかし、こういったこと、実は何てことはない、普段からも我々は意識できるのではないでしょうか。
こと我が家系に限定すれば、お墓という場所が先祖との時間をリンクさせるに容易な場所になるのでしょうが、
普段歩いている道や場所には歴史があり、そこを昔の人々が行き交い、生きていた時があったのですから、
我々の生活している場所全てで、過去とつながり、その当時に思いを馳せ、彼らの息づかいを感じ事ができるということなのでしょう。
そんな視点で自分の街や生活圏をみると、また一風変わった、面白い発見もあるのかもしれません。
そして何より、過去にそこで何があったのか、どんな人たちが生活していたのか、何を考えていたのか・・・。
そういったことに興味を持てるのかもしれません。
台風が去って ~身体と心~
台風12号が太平洋沿岸を沿うように過ぎ去り、今日は秋晴れ。
18時ぐらいには、月がとても大きくまん丸に輝いていました。
そんな涼しい中でフットサルを2時間、その後仲間と行きつけのダイニングで呑みながら
楽しい時間を過ごしました。
身体を動かして、心もリフレッシュ!
本当に気持ちよかったです。
しかし、身体を動かすと、なぜ心もリフレッシュするのでしょうかね。
人間って、心身という言葉が示すように、心が先にあるかのように見えて、実はやっぱり身体に
依るところが大きいと思うんです。
かといって、身体ばかりが優先されても、心が取り残されてしまう。
こんなストーリーがあります。
アメリカ大陸の内陸を、インディアンを伴って探検している白人の探検家一行が先を急いでいる最中、
急にインディアンが立ち止まって動かなくなってしまう。
「何をしているんだ!?早く先にいくぞ!?」と探検家。
「まだ魂がついてきていない。」 とインディアン。
この話を聞いて、あぁ、なんか凄くよくわかるなぁと思ったのです。
身体に無理をさせたり、身体ばかりを気にしていたりすると、心が身体から離れてしまって、別々になってしまうような感じがする。
例えば、自分の身体のどこそこが気に入らないとか、強行スケジュールとか。。。
確かに心がどこかに行ってしまっていますよね。一気に疲れてしまいます。
逆に、心を優先しすぎても、身体が失われてしまう事が多いと思うんです。
むしろ、現代人にはこちらのほうが多いと思うんですが、仕事に追われて毎日終電だとか、食事をとる暇もないとか、過度なダイエットを続けるとか。
どちらのケースも、バランスを逸している訳です。身体と心が分離されて、距離ができてしまっているのです。
「健全な肉体に健全な魂が宿る」と言いますが、
「健全な魂に健全な肉体が宿る」とも言えるのかもしれません。
双方表裏一体にして双方真なり。
ちなみに、忙しいという字は、心を表す「りっしんべん」に「亡くす」と書くわけです。
なるほどな。と思います。
心を亡くしてしまうような事を、我々は平気で行っていて、自分の肉体や身体を置き去りにしているわけです。
そして身体の声に耳を傾けることなく、徐々に心のみならず、身体も亡くしてしまう・・・。
こうならないために、少しは自分の身体と心が離れないように、身体と心が両方満たされるような、そんな体験や
経験が必要なのではないでしょうか。
私は寝る前に、私の身体に感謝して寝ています。
毎日毎日、私の身体は不平不満も言わずに、意識せずとも仕事を果たしてくれています。
心拍や呼吸、代謝、摂取、排泄、、、、
身体があるからこその心であり、心あっての身体なのです。そして両方とも私であって、ひとつなのです。
そんな風に思いながらも、こんな時間にブログを更新している私・・・。(笑
まぁ、たまには・・・。
秋の気配 ~バランスについて~
急激に寒くなった東京、昨日までは30度を軽く超えるような暑さだったのに。
この急激な気候変化が原因なのか、少しぜんそく気味。
でも、これでようやく秋到来なのかな。
しかし、天気には人は逆らえないし、天気や気候を見て、どうこう言っても仕方ない訳で。
地球は他の生命と同じで、様々なバランスを保ちながら「生きている」から、この気候だって
「地球の息づかい」とも言えるのではないかと思うのです。
この生命がバランスをとる性質を表す「恒常性」という言葉があります。
これは、いつもと変わらないような、状態が一定に保たれるという意味なのですが、これが一番難しいのが人間なのではないでしょうか。
人間は、自分の身体を酷使したり、無理をさせたり・・・。
もっと身近に考えると、夜更かしを続けたり、暴飲暴食をしたり、過度なダイエットをしたりと、、、、。
生命の恒常性を崩すような事を自らするわけです。
身体と心の関係、これはまた別の機会に書けたらと思いますが、無理が通れば道理引っ込むという事ですね。
これらの無理や無茶は色々なところに影響を与え、思いがけない所にそのしわ寄せが発生します。
単純な因果関係として整理できない、人知を超えたところからも影響を与えられているかもしれません。
発生する色々な事象の原因は本当にカオスであり、人間の予測を遙かに超えている事なのだと思います。
まぁ、とは言え、それをあれが原因じゃないか?これが原因じゃないか?と、色々と単純に決めつけたがるのも人間の性なのかもしれません。
「無為自然」という言葉がありますが、あるがままを受け、自らが自然に生きられれば、無理も無茶も必要無いんだと思います。
自然体。これができれば一番だと思いますし、様々な事象にも柔軟に対応できるのでは?と思います。
適度なリラックスと適度な緊張、適度な楽しみと適度な辛さ、、、。
過ぎたるは及ばざるがごとし。 「バランス(平衡)」が大事なんですね。
でもこの事は、遙か2000年以上前の人が既に気付いているんです。しかも洋の西東を問わず。
日本でも、石庭で有名な京都龍安寺にある"つくばい"で有名ですよね。
「吾 唯 足 知」
やっぱり バランス なんですね。
食欲の秋に備えて自分を律するために今一度確認・・・。

