さて、我が家の愛犬アミタくんについてのお話しです。


アミタくん、通称アミちゃん。

2歳の時に我が家の一員となり、あと数ヶ月で6歳になります。



  今日も元気一杯に階段を駆け上るアミタくん



その出自は、はっきりしていません。

推定2ヶ月の時に山で捕獲されたので、恐らく、山犬の子供ではないかと言われています。

殺処分に遭う前に、動物保護団体のピースワンコジャパンに救われて、6ヶ月の時に日本聴導犬協会に引き取られ、耳の不自由な人の役に立つための訓練を受けていました。

ところが、敏感で怖がりな性格が聴導犬には不向きだったために、家庭犬として里子に出されることになったのです。

そして、うちがご縁をいただきました。



アミタという名前はアミターバ(サンスクリット語で阿弥陀如来の意味)という言葉に因んでいます。
霊的な雰囲気を宿す彼の瞳に神聖さを感じたことから、そして、阿弥陀如来のご加護がありますようにとの祈りから、この名を彼に付けました。

また、フランス語のアミ(友達)にもかけて、孤独そうに見える彼に沢山の素敵な友達ができる様にと、励ます気持ちも込めました。





出会った頃のアミちゃんは、いつもビクビクしていました。

私たち家族にはすぐに打ち解けて、甘えたり遊んだりはしましたが、声を出すことはなく、常に緊張している様子でした。

散歩に出たがりますが、いざ外に出かけても、怖いものだらけで思うように歩けません。
唐突に座り込んで動かなくなったり、慌てて逃げようとしたり。
何に怯えているのか注意して観察してみると、、、
帽子を被った人、傘を持った人、子供、吠える犬、はねるボール、バタバタ走る足音、チェーンがチャリンと鳴る金属音、ビニールがガサガサいう音、工事現場の騒音、風の音、雷の音、、、
そうしたものがみんな苦手の様でした。







家の中では、ご飯の時間以外は、ほとんど、薄暗いベットの下にいて、声をかけても反応せず、虚空を見るような目つきでじっとしています。
その姿はまるで瀕死の犬の様。



  くっ暗すぎる…


東京の家に連れてこられて、どう見ても生きずらそうなアミちゃんを目の前にして、私たち家族は戸惑いました。

アミちゃんにとっての幸せって、何だろう。

生まれた山で、誰にも邪魔されずに、悠々と野生に生きて、死んでゆく犬生であったかもしれないのに、人間の都合で捕獲され、今は保護という名のもとに不自由な生活を強いられているアミちゃん。

彼の心の奥底に渦巻く思いを想像すると胸が痛みました。

悲しみ、苦しみ、恐れ、寂しさ、不安、、、、



でも、抗いようのない流れで人間のもとに連れてこられて、こうして我が家にご縁をいただいたからには、この今を、アミちゃんが少しでも楽しく生きられる様に、励ましてゆくより他にありません。

私たち家族は、アミちゃんの存在に、心からの敬意を持って寄り添いました。



臆病であること、気が弱いことは、彼の本質ではないと、彼の瞳を見れば明らかでした。





生まれて間もない時から過酷な犬生を健気に生き抜いてきた彼の強さ。
そして、愚鈍な人間には掴むことのできない何かを感じ取れる繊細な感覚。
その全てが、私たちにとって尊敬すべきアミの特質でした。

だから、彼の真ん中にある、本来の力強さと大らかさを信頼して、その発露を待つことに、何の躊躇いもなかったのです。



私たちがアミちゃんにしてきたこと、そして今も変わらずしていることを書いてみます。



嫌がることは、無理強いしません。

怖がっている時には、マントラのように「大丈夫だよ」と声をかけて、側にいます。

甘えてくれたら、大喜びで撫で回して、抱きしめます。

お散歩の後には歌いながらマッサージ&ブラッシングタイム。

「可愛い」「大好き」「うちに来てくれてありがとう」「アミちゃんと一緒に居られて幸せだなぁ」と何度も伝えます。

心を込めてご飯を用意して、温かな寝床を整えます。














そうです。

私たちが彼にしていることは、とてもシンプルなことばかり。

全ての流れを信頼して、愛情を注ぎ、寄り添うこと。

ただこれだけのことが、彼を大きく変容させました。



今では近所にお友達も沢山できました。

遠くに大好きな犬を見つけると、自分から猛ダッシュして遊ぼう遊ぼうと誘いに行きます。

知らない犬に吠えられてもへっちゃらです。

傘を持った人にあっても、帽子を被った人にあっても、チェーンの音を聞いても、ビニールのガサガサいう音を聞いても、へっちゃらです。

家では、薄暗いベットの下ではなく、自分の心地よい寝床にリラックスして横になれる犬になりました。

暑い夏場だけは、ベットの下に居ることもありますが、涼しい場所を求めているだけなのだよという平和な顔つきをしています。

今でも苦手なのは、子供、ボール、雷、強風。
たまにそうした苦手なものに怯えるアミちゃんに出会うと、新鮮な気持ちになるくらい、今はほとんど怖がらない犬になったのでした。


思えば、アミちゃんは、私たち家族のもとで、信頼される、見守られるという経験を、コツコツ重ねながら、少しずつ少しずつ、自分らしさを取り戻して行ったのだと思います。







そんな中、八ヶ岳南麓に拠点を持つことになりました。

プライベートな広い森に佇む家に出会った時に、まず心に浮かんだことは、アミちゃんをこの森で思い切り走らせてあげたいという願いでした。もともと山で生まれた彼にとって、山は故郷です。今では街の暮らしにも慣れたけれど、彼にとって一番自然で心地よい場所はきっと山だろうと。だから必ずアミちゃんをここに連れてこよう。そして、この森を「アミタの森」と名付けました。



初めてアミちゃんをアミタの森に放した時のことは今でも目に焼きついています。こんなに嬉しそうな顔をして、こんなに速いスピードで、縦横無尽に自然の中を駆け回る姿を見ることができるとは。その姿を見て、「アミタが本来の自分を生きてる!」と感じました。地球との繋がりに歓喜をほとばしらせながら、風をきって森を駆け巡る、しなやかで美しい姿。そのスピード感、その力強さ。それこそが、彼の持つ本質。弱くて臆病なアミタはそこにはいない。

その姿は「自分を生きるってこういうことなんだ!」という完璧なお手本でした。



  春の森を駆けるアミタくんが写っています。

  見つかるでしょうか。



  全身に気が満ちている


  喜びで潤んだ可愛らしい瞳


さて、そんな彼の日常の先に、先日お伝えしたワークショップの晩の出来事がありました。

真夜中に、風が吹き荒れる森へ、いきなり飛び込んでいったアミちゃん。

あの晩から、彼は益々強い犬へと変貌を遂げているようです。

つい先日も、、、お散歩で、気の荒い犬に挑発されたら、尻尾を丸めて逃げるはずのアミちゃんが、なんと!尻尾をピンと立てたまま、恐ろしげな唸り声を上げて歯を剥き出し、噛み付かんばかりに挑み返す事態に!!
あわや喧嘩が始まりそうな勢い!!

えーーーウソでしょう??!!

いや、ホントなのでした。

アミちゃんは相変わらず、自分から他の犬にマウントを取ったり、家族に序列をつけたりもしないけれど、もはや、やられっぱなしの犬ではなくなっているのでした。



アミの変容を見ていると、可能性を潰しているのは意識なんだと痛烈に思い知らされます。

周りの人間の「こういう犬なのだ」という思い込みと諦めが、強固な檻となって、その中にその犬を閉じ込めるのです。つまり、弱い犬のレッテルを貼られた犬は、ずっと弱いままになる。

人間に置き換えても、同じことが言えると思います。

「こういう人間なのだ」の檻に閉じ込められて、自分の本質を生きられない人は山のようにいます。


犬は、おそらく、自身に対する思い込みがないので(あるのは現状への諦めのみ)自尊心さえ育てば、途端に檻から抜け出して、自分を生きる道へと舵を切ることができます。
アミの変容が私にそれを見せてくれました。

それに比べて人間は、本人の思い込みが強烈な縛りとなって自分自身を押さえつけているために、檻から出ることが難しく、自己否定の矢を放ち続けることになるのです。



いずれにしても、檻から出るための鍵は自尊心。

そして、自尊心を育てるものは、
愛と信頼。

それは人間と動物に共通の、命を燃やすために必要な、エリクシールなんだと思うのです。



  ベットで寛ぎタイムのアミタくん近影



ところで、私たち家族は、アミちゃんに愛と信頼を手渡す側に立ちながら、同時にアミちゃんから、愛と信頼を手渡される側でもありました。

そのことについては、またいずれ書いてみたいと思います。



サロンまなは