邪魔してないから。
『ボーッと観る会』、昼の部。
瞑想後のシェアタイム。
Yさんは、いかが?
「最近、気になってる本がありまして。」
ほー、どんな?
「これです。」
何なに?
・・・「子どもの個性を伸ばす」かあ。
この本の何が?
「なんか親が伸ばすって、おこがましいなって。」
ほー、違和感が?
「しかも、個性って、誰にとっての個性なのって。」
なるほどね~。
親の押し付けになりかねないと。
これまで教育系の本、ガッツリ買ってね。
子育ての正解を求めてきたのに。
なぜか最近、すべてに違和感が。
「それ、私にもタイムリーです。」
あら、Mさんも?
「娘を工作教室に通わせてるのですが。」
ですが?
「つい口出ししてしまうんですよね。」
横で見てると、黙ってられない。
もっと色を使えとか。
ここは、こうなんじゃないとか。
子どもの個性。
もちろん、伸ばしたい。
けど、親が認めたことだけが「個性」に。
「個性を育てるどころか。」
どころか?
「邪魔しちゃってたなって。」
あら(笑)
とはいえ、難しいよね~。
アタマでわかってても。
ついつい口出ししたくなる。
ここは、子育てを終えられた先輩方に。
Kさん、いかが?
「ほっておいたら、イイんです。」
もう達観の境地(笑)
Aさんは?
「いつの間にか、勝手に育ってますよ。」
お二人とも見事。
なるほど。
「期待」
してないんですね。
子どもの将来に期待するのは、当然。
けど、期待すると、「〇〇しかダメ」に陥りやすい。
当然、期待どおりにいかない。
そこで、「個性を伸ばす」教育の出番に。
けど、伸ばさなければいけない時点でね。
そのまんまじゃ、ダメと。
烙印を押してるのと同じ。
ピピッときたのが、こちら。
「いま、ここで輝く。」
おおたとしまさ エッセンシャル出版社
> 「どうやったら子どもたちを伸ばせるんだろ?」
> 「何言ってんだよ。伸ばさないよ。」
> 「子どもたちは勝手に伸びるんだよ。」
自分が子どもの頃を思い出してみよう。
大人に指導されて伸びただろうか?
機会は、与えてもらった。
私も絵画、そろばん教室に。
けど、先生や大人に指導されてね。
「伸びた」体験をしただろうか?
訊きたいことだけ、教えてくれたらイイよね(笑)
逆に、大人がそちらへ導こうとするほどにね。
反発したくならなかった?
やりたいようにやったら、ダメなのかよと。
やっぱりお金がかかってるから?
で、習いゴトが嫌いに。
「ああ、やっぱりそろばんは、ムリだったか。」
いえいえ、そろばんじゃない。
Whatじゃなく、How。
子どもは、「木」気旺盛。
のびやかさを禁じられた時点で、興味をなくす。
期待って、選択肢がひとつ。
「こう育ってくれたら、嬉しい。」
すでに選んでしまってるんです。
(そうじゃなければ、嬉しくない。)
セットでしょ。
じゃあ、どうすれば?
もうおわかりでしょ。
いつもの「どちらも」(笑)
「期待以上」と「期待ハズレ」
「どちらも」をイメージで。
同時に体感。
不快と快が入り混じる。
何とも言えない不思議な感覚。
けど、評価せず、ただ観る。
観続ける。
すると、カラダの感覚がゆるむ。
期待してる時ってね。
「〇〇しかダメ」になってるからね。
カラダのどこかが緊張してるの。
けど、「どちらも」を体感するとね。
陰陽どちらもの「土」気が発生。
「土」気の作用は、ゆるむ。
カラダがゆるむと、ココロもゆるむ。
「〇〇しかダメ」と、こだわれない。
子どもの才能を伸ばす。
一見、当たり前。
Yさんもガッツリ学ばれてきた。
正解がそこにあると。
けど、そこには期待があふれてる。
「どちらか」なんだ。
最近、軽やかになられたYさん。
意識が「どちらも」に。
すると、「どちらか」なエネルギーが合わなくなる。
本だけでなく、人も、モノも。
こだわりのエネルギーは、固くて重いから。
なんか違うな。
違和感が生じる。
できれば、子どものやりたいようにやらせてあげたい。
かといって、
「自主性にゆだねる育て方」
みたいな本を探すのは、違う(笑)
それ、正解を求め続けている点では、同じ。
正解は、ひとつ。
「どちらか」の意識では変わらない。
期待するのも愛情。
・愛情×どちらか=期待
愛情は、そのまま。
・愛情×どちらも=中庸
この時、「情」が抜け、「愛」に。
愛とは、全体性。
両極どちらもであり、すべて。
自分が「どちらも」になるだけ。
ゆるんで、軽やかに。
そんなお母さん。
きっとお子さんからみても、ステキだ。
勝手に伸びるよね(笑)
最も伸びるかもね。
今日は、これまで。