元気が湧くのは。
「お花が届いてます。」
お通夜の会場。
早めに到着したら、すでに供花が。
誰だろ?
家族葬ってことで、
親族とご近所以外、知らないはず。
・・・あっ。
「泉ヶ丘東中学校第31期生一同」
同級生たちだ。
そっか、Nだな。
昨晩、わが家に手を合わせに来てくれた。
その後、LINEグループで連絡してくれたみたい。
嬉しいよね。
初めての喪主。
わからないことばかりで、
気が張ってた。
同級生たちが送ってくれたお花。
心強い声援。
見てるだけで、元気がわく。
ひとりじゃない。
肩の力が抜ける。
しかも、通夜が終わってから。
NとMが、会場に来てくれた。
私は「寝ずの番」。
母とともに会場にお泊り。
「家族葬って聞いたから。」
通夜が終わってから、来てくれた。
嬉しいよね。
その気遣い。
「はい、これ。」
Mが、和紙の封書を。
何なに?
開けてもいい?
あっ・・・お花をくれた同級生から。
全員の名前と、お悔みの言葉。
私への気遣いも。
書道家のMが達筆で。
やられたなあ~(笑)
ほんまありがとう。
二人とも母と面識が。
思い出話に花を咲かせながらも。
イヤでもわかることがある。
ピピッときたのが、こちら。
「人間ってなんだ」
鴻上尚史 講談社
> 人は、想像したことが顔や体、雰囲気に滲み出る
私を応援しに来てくれたんだな。
> 自分の想像力で他人の感情や状況を
> 判断してはいけない。
> たいていの場合、当事者の苦しみは、
> 自分の想像力の結果より、はるかに深い。
Nも、Mも。
ご両親は健在。
母を亡くして、初めてわかった。
やっぱり当事者になってみないとわからない。
わかろうとしなくてもいい。
一緒にいてくれるだけで十分。
悲しみにひたると、孤独に。
お悔みも素直に受け取れない。
意識的に「ひとり」になってしまう。
それだけで、気が消耗していく。
Nも、Mも、気負いがない。
大変だろうねとか。
元気出してねとか。
ただ何となく、一緒にいる。
わきあがる感情には、
自分で向き合うしかない。
けど、真剣に向き合いすぎると、「深刻」に。
そんなとき、一番ありがたいのが、
同情でも、励ましでもなく、
ただ一緒にいること。
ニュートラルな意識でいられると、
自分が客観的に映し出される。
「写し鏡」になってくれる。
だから、感情に飲み込まれず、
俯瞰して向き合える。
自分で昇華できる後押しに。
そっか、そっか。
私もそうしよう。
大切な誰か。
悲しみにひたるときに。