なぜ、映画の主人公は死を賭けるのか? | まなブログ

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平和を望んでるはずなのに。

 

 

 

昨日の続きです。

ともちゃんの質問。

生と死の中庸とは?

 

さて、どう答えようか?

ともちゃんが質問をくれた背景を知りたくなるね。

 

 

「ともちゃん、なんて?」

 

 

となりにまみちゃんがいたの。

 

 

「生と死の中庸・・・『いま』かな。」

 

 

確かに。

さすがまみちゃん。

 

 

死を意識することでね。

対極にある「生」を客観的に見直すことができます。

 

「生」って、常にそうあり続けるからね。

意識しないと、実感できない。

 

魚が水の中にいることをわからないのと同じ。

水面でジャンプして、空中を味わうことでね。

初めて水中にいたことがわかります。

 

 

過去記事でもWくんがね。

ドストエフスキーの『罪と罰』を読んで、

 

「死について考えるのが好きなんです。」

 

といって、Wくんは悲観的でもない。

ユニークで飄々としてる。

陰がないの。

 

死を意識するのはね。

「生」を充実させるため。

 

 

けど、普段、死を意識することってあまりないよね。

身近な人を亡くした時とか。

大きな事故や病気になるとか。

 

前述の魚で言えば、空中の領域。

 

だから、映画や小説に求めるのかもね。

死を意識できる非日常を。

 

 

そうそう、ともちゃんに訊こう。

なぜ、この質問を思い浮かんだの?

 

 

> 寝る瞬間に息をしたら死ぬって思うことがよくあって

> (苦しくはない)なんでかなーって見てったら、

> 死ぬために生きてるんだなーって。

 

> 死んだあと1人ぼっちだな。

> 死ぬのを 焦点当てたら、生きることがもっと楽になるかと。

> でも、両極端だから、 間をとろうとなりました。

 

 

なるほど。

まさしく中庸だ。

 

AかBか問題の答えは、C。

生か死かの答えは?

 

 

「いまに意識を向ける」

 

 

じゃないかな。

 

ほら、よく言われるでしょ。

 

 

「明日死ぬとしたら、いま何をする?」

 

 

「いま」に意識が向くでしょ。

 

 

そう考えるとね。

ともちゃんの死を意識する時って、

パニック発作を起こした時じゃない?

 

 

> そーなのー!それふしぎやった!

 

 

やっぱり。

 

寝る時の呼吸に意識が向くって言ってたでしょ。

呼吸って、数分止めるだけで「死」がそこに。

 

発作の時、過呼吸になって、

 

「このまま、症状がひどくなれば死ぬかも」

 

って思うよね。

 

 

Wくんが『罪と罰』で死を意識するようにね。

ともちゃんは、発作で死を意識してるのかも。

それは、「いま」に意識を向け、「生」を楽しむため。

 

 

「ああ、どうしよう、どうしよう。」

 

 

パニック発作って、思考が高速回転してね。

自分を追い込んで極まった状態。

 

「自我の死」

 

がそこにあるんじゃないかな。

 

陰極まれば、陽になる。

 

思考が働く時ってね。

意識は、過去か未来にあります。

 

パニックになって、考えてもどうにもならなくなってね。

思考の「死」。

意識が「いま」に戻る。

 

そんな観方もできるかもね。

 

 

寝る時に死を意識するともちゃん。

睡眠を「仮想の死」と観るなら。

人は毎日、朝生まれ、夜死んでいるとも。

 

 

> それ、すごいわかるなー。

> 毎日死んでるねー。

 

 

でしょ。

 

 

> そっか。そーか。

> で起きて、今を丁寧に生きる!と。

 

 

そう、夜「死」を迎えることで、朝に再生。

 

その日にいろいろあってもね。

夜でリセット。

過去に引きずられない。

 

「いま」に集中するにはね。

過去や未来へ分散したエネルギー。

手放して戻さないと。

 

 

じゃあ、最後に確認。

ともちゃん、生と死の中庸は?

 

> 今をただ生きること。

 

おー、シンプルでいいね。

「ただ」ってのが光ってる。

 

 

> ほんと 今しかない気がする。

> できたら、笑ってたいけど、

> 悲しんでも今しかないんやなーって

 

 

「悲しむ」ことが悪いことではない。

「わたし」という世界に「悲しみ」の感情が「ただ」起こっただけ。

「喜び」が良くて、「悲しみ」が悪いと評価しない。

 

それ、思考による判断。

その瞬間、「いま」から意識が離れてます。

 

 

雨が降れば、洗濯物を取り込む。

 

雨が降ってることは、どうにもできない。

誰のせいでもない。

ただ、雨が降ってるだけ。

 

 

悲しみが起これば、ひとりの時間をつくる。

 

悲しみが起こることは、どうにもできない。

誰のせいでもない。

ただ、悲しみが起こっただけ。

 


息詰まりは、生き詰まり。

詰まったら、リセット。

その日に何があってもね。

 

 

毎日生きて、毎日死ぬ。

 

 

「西の横綱」からの質問。

まさかの深い展開。

けど、もうひとつ、あったの。

 

続きは明日です。

 

 

 

では、今宵はこのあたりで。

 

 

 

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