「個」を殺すことでもありません。
昨日の記事でね。
> 日本は「土」の国。
> 「個」
> を尊重するよりも
> 「みんなと一緒」
> を重んじる。
「個」か、「全体」か?
日本では、「全体」が重んじられ。
欧米では、「個」が重んじられる。
どちらが大切なんだと。
よく耳にするでしょ。
「まなブログ」をご愛読のあなた。
もうおわかりですね(笑)
二項対立の「どちらか」。
「どちらも」で対立が解消。
統合に向かいます。
どちらにもメリット、デメリットがあります。
それぞれのメリットを主張することはね。
対立をさらに深めてしまいます。
「AかBか問題」は、俯瞰してCを見出す。
そろそろ覚えちゃったでしょ(笑)
私も以前から知識としてはあったけどね。
最近、ボー観を重ねたおかげか。
体感として「そうだな」と思えることが。
「個」か、「全体」か。
「個」と表現する場合。
肉体上、分離した「個人」を意味してます。
肉体には、区別できるよう名前がついてます。
「谷田学」というように。
それが「わたし」です。
けど、本来、「土」のゆるむエネルギーとはね。
自他の境界線を曖昧にする作用。
融合、統合、同化。
相手の肉体も「わたし」になる。
感覚的に「わたし」が広がります。
あくまで「感覚的」にね。
もちろん「物理的」には分離したまま。
あなたとわたしは、別です。
これ、体感として味わえないと腑に落ちません。
「言ってることはわかるけど」に。
日本は、「土」気旺盛。
なぜなら、自然界に四季がある。
陰と陽を行ったり来たり。
波のエネルギーが生じます。
人も自然の一部。
波のエネルギーである「土」気旺盛。
物理的には、顔が平らに。
生理的には、声も皮膚もやわらかく。
心理的には、調和を重んじる。
その長年の歴史のうえで生まれた文化が
「場を読む」
「空気を読む」とも。
これ、個人の主張は抑えてね。
全体多数に従うことだと。
私もずっとそう思ってたけど。
それは、
「個」が分離している前提
での発想。
ほんとに「土」気が体感として活性化するとね。
身体感覚として、自分と自分以外の分離感が薄くなります。
人だけでなく、モノや環境とも。
「自然と一体化」とか、言うでしょ。
その時、場全体が「わたし」だからね。
「わたし」が心地よいように選択すればね。
自ずと「場」の心地よい選択になる。
「どちらも」でしょ。
私たちのご先祖様はね。
「場」を体感として受け容れてたんだろうね。
だから、「気」とか、「場」とか。
そんな言葉や観方が数多く生まれた。
「個」か、「全体」か。
そんな「どちらか」の場を体験されたらね。
「個が全体に」
「わたしが場」
になる「どちらも」もあるなと。
昨日の記事を書きながらね。
そんなことを観じてました。
では、今宵はこのあたりで。
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