とうとう4月になりましたね。

今は新年度でみたいな変化はない生活ですが
片付けの区切りをつけるために集計を…


第七次削減計画ではゴミ、不用品、資源物を
1月から3月の間50袋処分が目標のところ

確認したら残念ながら30袋、達成率60%…

2月に風邪をひいてダラダラしていたからや
庭の枝整理につい手を出していたせいも…

コンポストが復活したのもあるかな…

針葉樹以外の落葉や低農薬の野菜や果物の皮
とかしか入れないけどこれはノーカウント…



次の第八次削減計画では4月から7月までの
4ヶ月で100袋処分を目標としています…

これまでより約5割増しの設定ですが冬に
まとめた枝類も10束ほど溜まっているし

動きやすい季節になってきてるので大丈夫?
遊びに出かける欲も出てきますけどね…

 

 

先日、本を借りて知った かぜのたみ さん…
家事などしながらこの頃 YouTubeを聴き…

テレビドラマもですが動画は自分が動き辛く
マイペースで観れないので苦手ですが

かぜのたみ さんのはラジオ感覚でいいです。


同じくミニマルな生活を実践している
稲垣 えみ子さんの本もまた借りてきました。


「寂しい生活」 (2017年6月 刊)

今までの「家事か地獄か」や
「もうレシピ本はいらない」に引き続き…

東日本大震災の原発事故を機に電気機器を
断捨離した記録が今作では綴られています。


「低コスト生活」の かぜのたみ さんは
ミニマルライフでは似ている生活ですが

彼女の穏やかでいて実際的な考え方に
自然に引き付けられる一方、


えみ子さんの過激な言葉との連射と
茫洋と広がる世界感は当初、抵抗もあって

 

 


現実離れしているかのような えみ子さんが
感じる寂しい生活って何だろうか… と。

まえがきで記しています…

…で、いろいろあって、いろいろ考えて、
大切にしてきたものに
ちょっとずつ、別れを告げることにした。


贅沢な消費。電気。持ち物。ガス。水道。
広い家。そして会社。

残ったのはとるに足らない自分。
そして、小さな、寂しい生活。



最後にそれをまた吐露しています。

自分の寂しさを覆い隠すために、みじめな
自分をみじめじゃない存在にするために

身の回りを様々なものたちで覆い固めて
膨らませていたのかもしれません。



新たに知ったのは えみ子さんは高度成長期に
家電メーカーのサラリーマン家庭で育った
家電を享受した「家電の子」だったこと…

それも電気に対する深い洞察になってるのか
オール電化住宅に住んでしまったときは

このようないびつな住宅こそ目先の
「お得」「便利」に踊らされその裏で
犠牲になっているものたちにつゆほども
注意を払ってこなかった私の自画像である。



そして高度成長期にいろいろな物を求め続け

しかしそれは本当の豊かさだったのだろうか

…必要十分を十二分に満たした要塞化した
家々の中で、我々は人とのつながりや、
助け合う力や、共感する力をとうの昔に
失ってしまったのではないか?



自らへの問いも厳しく身が引き締まります。

…例えばエアコン、家の中を冷やすために、
室外機から熱風を吐き出す。

自分さえよければ誰かを踏み台にしてもよい
という考え方が原発事故を生み出したのは
偶然でもなんでもない。

…今やだれもが福島で起きていることを
多かれ少なかれ見て見ぬふりをしている。
    
…だが我々はすでに、原発事故がおきる
ずっと前から、自ら分断を生み出していた
のではないか?



キリがないので引用はこのくらいで…

えみ子さんが楽しみながら断捨離を一つずつ
実践していく顛末や、意外と豊かな暮らし、

これから IoT (Internet of Things)
すべてのモノがインターネットに接続される
世界がもたらす懸念や、人間賛歌など

実際に読んでみると引き込まれるでしょう…


私は家電を処分したりできそうもないですが
えみ子さんの行動や考えに励まされます。

今まで心地よいものに囲まれて過ごしたいと
集めたり作ったりしてきたものも見直して
シンプルな暮らしを目指していかないと…


もう埃だらけのドライフラワーは真っ先に
記念写真だけ撮ってサヨナラしないと… 

 

 

 

 

去年の初夏に買ったり庭で咲いた紫陽花を
枯れて変色しても捨てきれずにいて…

人から見たらゴミでも綺麗な形に見とれて…

 

10年来、キッチン奥の上方に飾られていた
クリスマスリースたち…

いろいろ家族で作ったとか思い入れがあって

 

 

 

 

玄関で飾り続けてしまったリースは3年前の
初冬にアレンジしたものです。

体調が振るわずそれ以来リースを作らなくて
そのままになっていました。
 

 

 

秋に刈ったムラサキシキブを丸めてリースに
したものにリボンや花を飾って…
 

 

庭の南側にはみ出ていたムラサキシキブは
誰かにごっそり伐採されてもうありません…

 

 

その年の早春に剪定したマサキの枝を使った
リースは飾らないまま3年経ってしまって…

 

 

 

きっとモノだけじゃなくて作っていたころの
思い出にも未練があったのでしょうね…

アレンジした当時はもうちょっとカラフル
だったのですが、時の経つのは無常です…

 

 

 

最後に40センチぐらいある大きなリース、
このブログを始めた夏に咲いた庭の紫陽花を
捨てられずに部屋の奥に飾っていました。

また庭にひととき里帰りをしました。
 

 

 

あの年はたくさん紫陽花が咲いてくれたな…
過去を惜しんでばかりではいけませんね。

今をしっかり生ききるために
必要なものだけを残していかないと…




ところで「寂しい生活」では1970年代に
作られた「電通戦略十訓」も紹介してます。

     もっと使わせろ
     捨てさせろ
     無駄使いさせろ
     季節を忘れさせろ
     贈り物をさせろ
     組み合わせで買わせろ
     きっかけを投じろ
     流行遅れにさせろ
     気安く買わせろ
     混乱をつくり出せ


こうやって欲望を拡大させることは
資本主義では経済を活性化させる重要な鍵、

人が生きていくのに必要なものなんて、
本当はそんなに多くない。
 はずなのに…



ものを減らすためには、手に入れるときに
もっと慎重にならなきゃいけないですね。