三、人間の業(人間の行為)
過去の行為(過去世における業)、すなわち、前世の生存中においてなされた善悪の行為のはたらきの業とは単なる過去の行為だけではなく、行為の結果をもたらされる表面には現れていない潜在的な力をも指しています。そのような業のうち、現在世(今生きている世の中)においてなされた行為と区別して、過去の生存中においてなされた善悪の行為の現在に及ぶ潜在的な力を特に「宿業」と言います。(業=身体・言語・心による人間の働き・行為。行為は必ずその結果をもたらし,また現在の事態は必ずそれを生む行為を過去に持っているとする思想。)
元東大教授の玉城康四郎先生は、現在の自分は、この過去世の業が―あの世において―成熟してこの世に現れ出たものであるから、現在の我が身は、これを「業熟体=過去の業が成熟して生まれた体。」であると言っております。
「業熟体」と言うのは、いわゆる、「宿業の身=過去の行為を宿した体。」と言うことであります。
「宿業の身」と言うのは何も解らないままで我執(自分本位の狭い考え)に縛られ輪廻転生(生死の繰り返し)している体を指します。それが私たち自身であり、「業熟体」なのであると言うのです。
何も解らないと言うことをお釈迦さんは「無明」と言っております。「無明」とは物事の真相が明らかでないこと、すなわち、迷いの世界を言います。
この迷いの世界から脱け出すためには悟らなければならない、と言っているのです。
「悟る」と言うことは何も難しいことではなくて、真理を理解する智慧を持っていればいいと言うのです。
ミカンでも柿でも、木の幹は地上に伸びております。
重いものを水に浮かべると沈んでしまいます。
これらは当たり前のことですが、この当たり前の道理を解りなさいと言っているのが佛教の教えであると言っております。
誰も見ていないから、これをチョット盗んでやろう、と言うようなことが、業(行為)となって見えない世界に積み上げられて、やがて、それが現れる時、(業が熟したとき)がくれば現実のものとなって「業熟体」となって現れてくるのだと言うのです。
(玉城康四郎先生は亡くなられましたが戦後の仏教学者として佛教界に深く貢献された方です。その先生の説によりますと過去、現在、未来に亘って行為の結果が続くと言うことは輪廻転生の存在を認めていることになります。現在の佛教界ではあまり輪廻のことは言われなくなっていますが、これは科学で計れるものではありません。)
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内容
戦前=軍国主義教育
戦中=軍隊(旭川―釧路―東京=東京大空襲―長野―終戦)
戦後=昭和21年(神戸=MPと遭遇)-昭和22年(東京=進駐軍の横暴)
戦後海外で活躍した旧軍人など。