私のリスカ体験〜もう二度としない〜 | うつ病 闘病記

うつ病 闘病記

34歳でうつ病を発症し、壮絶なシングルマザー年月を経て、うつ病を繰り返しています。その中で、うつ病の体験を元にうつから解放される為に何かに気付いたり、生きる糧になればと願っております。


以前の私は、死ぬことばかり考えていました。


今思うと、本当に狂っていました。


主にオーバードーズでしたが、痛みも感じたくて、リストカットも数多くやって来ました。


リストカットは、痛みだけではなく、本気で死のうという意気込みでやっていました。


急に興奮状態は襲って来るもので…それは抑え切れませんでした。


ほぼ自宅で行っていました。タオルを敷いて、行っていました。


時には、いつも個室に入院していた私ですが、たまたま個室が埋まっていて大部屋しか空いてない時、夜、皆が寝静まった時に、リスカして血が吹き出て止まらなくなった時、見回りの新米男性看護師が来て、驚いて、静かに私の敷いていたタオルで手首を抑えて止血して 、しばらくただずんでいたこともありました。


精神科の道路挟んで、斜め前に総合病院があったのですが、数回、そこでリスカで麻酔、縫合した記憶があるので、数回、精神科でリスカをしたものと思われます。リスカしている時は興奮状態にあるので、痛くても我慢出来るのですが、総合病院に連れて行かれる時は、冷静になっているので、パックリ開いた傷口に、麻酔を打たれるときの痛さは尋常じゃなく、縫合される度に後悔しました。


時には、精神科に受診後、精神科病院前に停めた自分の車の中で 、興奮状態に陥り、リスカをし始めたこともありました。人通りも多いのに今ではにわかに信じられないですが、泣きながら切っていました。車はロックをかけ、用事を済ませた母親が帰って来て驚き、どこかに通報。救急隊員なのか、警察官なのか、記憶にないですが、母に車の窓ガラスを割りますよ、と確認後、車の窓ガラスを割られ、私は助け出されたのです。


しかし、リスカは、ほぼ自宅でやっていました。いつもパックリ口が空いた傷口に塗り薬を染み込ませ、ガーゼで覆い、テープで止め、包帯でキツく縛っていました。


いつも、生理前になると、情緒不安定になり、興奮状態になり、死のうと思い私なりに本気でやっていましたね。ある一定までの深さまでは切れるのですが、そこから切るのが、激痛を伴ったことを覚えています。


リスカ体験は、オーバードーズと同様、数え切れないほどやっています。


両方共、今ではとても後悔しています。
母親が大切に育ててくれた身体を痛めつけるなんて、普通では考えられません。


心の痛みの深さが、私の生育歴と離婚理由等が重なり、表に出て来て、こう言う状態になったのは、後に解りました。


今まで、よく頑張ったね、今までよく我慢してきたね。と労ってあげないといけないはずなのに…


今も残る傷跡を見て、精一杯生きて来たんだね、もう2度とこのような悲惨なことはしないよう心に言い聞かせています。


皆さんも、自分に一番、優しくしてあげて下さいね。


お読み下さり、ありがとうございます。