私は、文章が下手ですが、話すことはもっと下手。だから、度々親しい友人にも、伝えたいのに伝えられないことが沢山あります。
その中でも、断トツ1位 「うつ病」
まだ、「うつ病」と言う言葉すらない時代、小学生4~5年生の頃、学校に着き、椅子に座った瞬間、言葉では言い現せない程の倦怠感が襲って来たことを覚えています。
机に突っ伏して、顔を上げるのが凄く苦痛で堪らないのです。
朝礼では、いつも気分が悪くなり、保健室行き。
段々、倦怠感と共に不安感が大きくなり、教室に入るのが怖くなったのが、小学4年生でした。
小学5年に入ってから、益々学校に行く足が重くなり、徐々に、登校拒否児になりました。
親に、何処か悪いんじゃないかと、訴えても、無視され、ようやく連れて行かれた普通の病院で、「自律神経失調症」と診断され、薬も無く、カウンセリングも無く、何も無いまま、帰されました。
学校の担任には、1年も休もうとしている私を呼び出し、「このままでは、進級出来ないよ」と脅され、叱られる始末。
当時、いつも頭がボーッと、霞みがかったような思考能力しかなかった私は、本当に進級出来ないかも知れない、と危機感を覚え、数日だけ学校に行ったものです。
今、考えると、小学生は進級出来ないなんて話は、笑っちゃいますけど、又酷い教師だったな、と思います。
私は、幼少時期から、人混みに入っていけないような子どもで、保育園の広場の入り口付近で、立って眺めていたことを覚えています。
保育士さんに、「トイレに行きたい」と言えず、一度だけお漏らししたことがあります。
とにかく、周りの人達に敏感で、恐怖心を抱えているような子ども時代でした。
小学6年生で、熱く真剣に生徒に関わる若い明るい教師が担任になり、生徒全員と日記のやり取りを毎日していました。
その先生のお陰で、学校に行けるようになったのです。
それでも、頭は上手く働いてくれず、指しゃぶりが小学6年生まで続きました。
中学、高校、共に身体の怠さが抜け、おとなしくも、毎日学校に行けました。
家は、田舎にしては立派な豪邸の部類に入る私の家。両親は教師。兄、優秀。束縛としつけに厳しい家でした。
父は潔癖症で、直ぐ怒鳴る人で絶対服従。
母親は、たまに過保護にされたり、キツイ束縛が激しく、日記も全て読まれていました。友人との手紙も全て読んでいました。その内容で叱られました。
家での掟
①私物を自分の部屋以外置いてはいけない。
②帰ったら、靴を揃え、先ずはお風呂場で足を洗う。
③物音を立てない。(階段を上がる時も忍び足)
④おかずは常に少量1品。(2日続くこともあり)因みに4人家族。
⑤友人の家に泊まってはいけない。
⑥TVは、NHKのみ。7時のニュースは全員一緒に見る。
⑦嘘はついてはいけない。
⑧父親が気に入らないと怒鳴る。(ほぼ毎日)
⑨就寝20時。
⑩親に逆らってはいけない。
まだまだ、このような躾は序の口ですが、ザッと簡潔に言うと、このような環境で育ちました。
私は多分、自分の意思さえ持ってはいけないとさえ、思っていたのだと思います。
いつも父の顔色を伺い、ビクビク緊張しながら生きていました。
そうして、大学には絶対行け、との父親の指令。
志望校に落ちた私は、何処でも良いから、四国から出たい!と思い、東京に行きたいのを許されず、名古屋までOKを出され、兵庫県、大阪、に住みました。
これだけでも、凄いなぁと我ながら思います。
うつ病で13年~16年闘病。
うつ病は、旦那の不倫。(その後二人は再婚)
息子の親権一人奪われ、夫と夫の母親からは、汚く罵られ、怒られました。因みに私は全力で家族の為にやり遂げました。怒られる内容は、は?と思うようなこじつけた嘘でした。
一度目のうつ病体験は、憎しみと恨みでドロドロでした。
憎しみ続け、もがき続け、長い長いうつ病生活に一旦終止符を打てた時には、元旦那も、両親も許せていました。
うつ病は、潜在意識にある憎しみが消えない限り、寛解しない事を知りました。
更に、寛解後、約1年で、仕事の人間関係であっさり再発。
それから1年後、減薬途中、ほぼ寛解に近い状態。
今は全て許せています。
憎しみ処か、関心さえありません。
子ども達は二人共、私を慕って甘えてきます。
憎しみとうつ病
教育とうつ病
貴方は、潜在意識で、訴えていませんか。
私は、こうやって書く事が好きですので、アウトプット出来ているのかもしれません。
たまには、息を吐く。大声で歌う。笑いながら愚痴を吐く等をしましょう。
今では、笑い話になります。
人は幾つからでも変われます。
皆様の憎しみが…1日も速く消化出来ます事を祈っています。
攻撃した相手は、必ず不幸になりますので、放って置いて結構ですよ。
憎んで憎んで、憎しみ通したら、ありがとう!と言って、自分に軸を向けて、自分を労り、慈しみ、幸せな言葉を少しづつ増やして行きましょう。



いつも拝読なさって頂き、ありがとうございます。




