(学校に行きたくないと言われた時にできること)

村上好さんの講演会をさせてもらいました。


彼女の講演会は面白いんです。でも、涙あり

ぐっと自分を振り返る時間もあるんです。


ご自身のお子様が不登校だった時期を乗り越え

今は支援者として、ママを助けている。


おかんの駆け込み寺



飛び込みで、不登校6年(中学、高校)の長男が

自分の不登校の時、私はどんな対応したかを話し

てました。



いつも笑っていたわけじゃないが。私はいつも

感じていたことは。


不登校で一番つらいのは、


本人→他の兄弟→親は最後。でも、親が一番

悲劇のヒロインみたいな状態になる。だから、

私は、喜劇のヒロインになろうと決めました。



息子が学校に少しいけば、この調子で頑張って

と、力み、また行かなくなれば、落ち込みを

繰り返してました。


メンタルトレーナーの先生に言われた言葉で

意識が変わったことがありました。自分は、

学校に行きずらい子を1000人以上みてきた

が、息子さんは40歳くらいまで悩むタイプ

だよ、と言って貰いました。


60歳超えて、仲良く悲しんだり、一喜一憂

したり、伴奏なんてしちゃいられん。


学校に行かないのは、君の責任‼️

いつでも食べられる冷食やレトルト

は排除。お腹空いたら自分で作りね!


昼間は起きときな!何してもよいが

ゲームだけは駄目!と言うと(中学

時代)漫画を読んだり、活字に向かう

ようになりました。


公立高校に行きましたが、結局続か

ず、通信に転校するも、ギリギリで

卒業しました。


その間六年間、私が決して忘れなかった

のは、家の中で一番良いポジションに

いさせてあげること!でした。


厳しい言葉は投げかけたが、決して本人

が悲観せず、生きていこう、と明るさを

失わないよに!と考えました。


結局は、平山佐知子の生き様が問われ

ました。私はどう生きたいのか、私は、

どんな人間としてこの世を全うしたいのか、

主人との関係、親との関係、仕事の向き合い

など、課題を少しずつクリアにしました。


その間、タクシー会社に勤め、ドライバー

となり一日中走り回り、介護タクシーを

起業し、我を貫きました。


そう、結局は、長男の不登校で私ががっつり

変わらざるを得なかったのです。


まだまだ進化中の私。人生観を変えるきっか

けを頂きました。