この世に満ちている 

 

これは なんだろう

 

せつなさ ため息  むなしさ?

 

僕が 感じている からといって 

 

それが 僕のものだと 

 

言うのだろうか 

 

それでも 構わないのだが 

 

それは  見かけよりも 充実して 

 

十分に 生息するように

 

生きているという 気が

 

している 

 

 

君は  今日 

 

どんな息を していたのだろうか 

 

どんな思いに  溢れていたのだろうか 

 

いい日もあったと  想うのは 

 

なぜ 

 

夢を 見たいから 

 

夢を 見たのだろう  

 

その夢が  どんな映像で 

 

その一日 だったのだろう 

 

どれくらいの 希望だったのだろう

 

どれくらいの せつなさだったのだろう 

 

だから 

 

夢は 美しいグラデーションのまま 

 

むなしいの だろう 

 

それは 夢から そのまま 

 

こぼれる 

 

 

あたたかい 涙は  悲しく 

 

喜びながらも 隠された 

 

ため息を  聴いている 

 

それでも  それを 

 

聴いてはいない 

 

どんなに 長く 時間を 

 

過ごしても 

 

求める気持が それを 

 

越えてしまう 

 

未来と 言いながら 

 

過去になってゆく 時間に 

 

耐えられない 

 

どうしても  僕らは 

 

時間を 所有したい 

 

自由な 未来を  描きたい 

 

そして  その 混濁の中に 

 

不安を  つくってしまう 

 

 

せつなさは そこから生まれる 

 

ため息は そこから漏れる 

 

むなしさは  受け止める時間が 

 

目の前で  消えてしまうこと 

 

止める時間も  なく 

 

止まる時間も  ないと 

 

わかってしまう 

 

くり返そう、 と思う 

 

くり返せばいい、 と 

 

あるか なしかの記憶が 

 

ほんもののように  郷愁する 

 

それが  ロマンという 

 

幻想の 化粧を する 

 

言葉以上の なにかが 

 

その中で  昇華されて 

 

同時に 消化されて 

 

仮想の夢は  潰える 

 

 

あの時は あったのに 

 

あったという 夢に 

 

終わってしまうもの なのか 

 

では 

 

あったという それは 

 

なんなのか 

 

記憶と ともに 

 

胸を 焦がす この 

 

気持は  なぜ 消えて 

 

くれないのか 

 

それを  どうして  僕らは 

 

生き甲斐のように 

 

胸に  しまっておくのか 

 

 

僕の記憶は  どこまで 

 

ほんとうなのか 

 

生まれる前の  かすかな記憶も 

 

ないはずだが  あるような気が 

 

するのは  嘘 なのだろうか 

 

そう言いながら 

 

どうしても そうは思えないと 

 

言う 

 

信じている 自分が いる 

 

君は  いた 

 

君は いたのだ 

 

・・・・・・

 

思い出すことさえ できない 

 

君を 信じるというのは 

 

いったい  どういうことなの 

 

だろう 

 

はじめから  遠かった 

 

遠くにいる 君だった 

 

 

それは 誰かの 記憶かも知れない 

 

僕の 感動が記憶した 

 

昔の  もっと昔の 一ページで 

 

失くしたものは  帰らない 

 

亡くした者は  帰らない 

 

という 

 

よくある 歴史の一ページで 

 

その人たちの  やさしい記憶 

 

 

それが  なんだろうか 

 

それが  僕に もたらしたもの 

 

それが  なにか 

 

そこに  すべてがあるのを 

 

僕は 知っている 

 

僕が それを  知っていることこそ 

 

そこに  すべての理由が ある 

 

それが  過去のロマン という 

 

幽霊で あっても 

 

そこに 宿した ものは

 

僕の  一生を  貫くだろうと 

 

知っている 

 

そういうものだと

 

なぜか 承知しているのは 

 

なぜなのか  

 

 

割れたガラスを  踏んでは 

 

歩けない 

 

音は  おかしくても 

 

鍵盤を 踏んで  歩いて 

 

みるほうが いい 

 

枕元に  夢の映像が 

 

見えて 

 

それが  人生に 

 

見えて しまうことが ある 

 

プラットホームで 

 

最終電車を  降りた 

 

気に なってしまう 

 

どうやって  帰るのか 

 

なんとかなるのは  わかっている 

 

なければ ホームで 

 

寝るのだろう 

 

暗い 街の底を ぐるり 

 

見渡して みる 

 

まだ 常夜灯が ・・ 

 

 

僕は 呼んでみた

 

それとも 

 

呼ばれた気に  なっていた 

 

そう 

 

思い出せば 

 

その声に  痺れ 

 

動けなかった 

 

体が  とろけるようだった 

 

世界で 唯一の  美しい 

 

声だった 

 

この 甘いふるえを 

 

一瞬でも 逃してしまうのは 

 

できなかった 

 

坐ったまま スピーカーから 

 

流れ出る 声に 

 

頭から 痺れているのが 

 

わかった 

 

ー あの時 

 

あの時に  日々も 人生も

 

その すべてが 

 

集約 されていた

 

 

静かな時 というように 

 

時に 静かなという 形容詞を

 

つけるのは 

 

なにかを 聴いているからだろう 

 

静かな音 というものはない 

 

自分の 緊張した  感覚を

 

聴いていることが 

 

多い 

 

君は  誰だろう 

 

それが わかったなら ・・

 

わかったなら ・・

 

なにかが それで 

 

喜べる わけじゃない 

 

わかったほうがいい と

 

いうのは 

 

もっと わからないことを 

 

増やすだろう 

 

君を 

 

僕のものには できない 

 

そうではなく 

 

君に  いてほしいと 

 

願う 

 

願うが 

 

それは  できないと 

 

知っている  

 

理由とか  訳とか 

 

そういう全部を 超えて 

 

僕らは  

 

時間を  越えなければならない 

 

その意味も  知らずに 

 

越えるものが  

 

存在していないのを 

 

有りもしないのを

 

知る つらさが ある 

 

 

この世は 苦しみである: 

 

そういう言い方も  できる 

 

この世を 生きるのは 祝福である:

 

そういう 事実もある 

 

僕らは  どこから  生き 

 

はじめるのか 

 

もの心 ついた頃からか 

 

僕らは なぜ 生きるのかと 

 

なぜ 考えるのか 

 

よりよく 生きようとすることと 

 

生きているだけで いいということに 

 

どんな 違いが あるのか 

 

それに 答えを出そうというのは 

 

答えを出す  生き方だろう 

 

だから  それは 

 

すべての 生き方ではないはず 

 

 

あなたが  しあわせだったとしても 

 

皆が  しあわせではないだろう 

 

あなたは  せつなさ  悲しみ 

 

ため息を  聴いて 

 

しあわせな 自分を感じるだろう 

 

その しあわせを 

 

周囲の せつなさ 悲しみが 

 

半分に割った 同じパンの 

 

片方に 感じたことは 

 

ないだろうか 

 

 

天気と言うと 空の様子だと

 

思う 

 

天気図を見て  俯瞰しているつもりだが 

 

僕らは  天気を 知らない 

 

僕らの天気は  実際 

 

地上の天気であって 

 

空の天気ではない 

 

僕らは雲を 見上げるだけで 

 

雨と言うが 

 

地上が雨だが 

 

雲の上は  降っていない 

 

雲の上の 天気など 

 

僕らは 考えたことがない 

 

 

低気圧の雲が  水分を 

 

溜めるように 

 

晴れと 雨は  上下に 

 

分かれる 

 

同じ空気中の  差がある 

 

僕らの 心の 水分は 

 

なぜ 溜まるのか 

 

それらの 仕組みがわかれば 

 

晴れも 雨も 自由なのが 

 

心の  自由ではないのか 

 

悲しみは  昇華して 

 

愛になる 

 

苦しみは  昇華して 

 

楽しみになる 

 

それは  言葉の分け方だけで  

 

実際に  そうなりにくいのは 

 

僕らは  悲しみに  なりたくない 

 

苦しみに なりたくない 

 

だから  そこで  抵抗する 

 

それが そのまま 

 

雨の中を  歩く

 

埃と 風の中を 歩く 

 

濡れるのを  気にして 

 

砂を 気にして 

 

そういう自分ばかりを 

 

気にして 

 

どうして  雨に 濡れては 

 

いけないのか 

 

どうして  埃に 塗れては

 

いけないのか 

 

これは  例えだから 

 

雨に 濡れなさいという 

 

推奨ではない 

 

なぜ 自分を気にするのか 

 

その時 自分は  

 

自分ではなく 

 

人に見られている 自分を

 

気にしているからだろう 

 

 

この世に満ちている 

 

これは なんだろう

 

せつなさ ため息  むなしさ?

 

僕が 感じている からといって 

 

それが 僕のものだと 

 

言うのだろうか 

 

それでも 構わないのだが 

 

それは  見かけよりも 充実して 

 

十分に 生息するように

 

生きているという 気が

 

している 

 

 

君は  今日 

 

どんな息を していたのだろうか 

 

どんな思いに  溢れていたのだろうか 

 

いい日もあったと  想うのは 

 

なぜ 

 

夢を 見たいから 

 

夢を 見たのだろう  

 

その夢が  どんな映像で 

 

その一日 だったのだろう 

 

どれくらいの 希望だったのだろう

 

どれくらいの せつなさだったのだろう 

 

だから 

 

夢は 美しいグラデーションのまま 

 

むなしいの だろう 

 

それは 夢から そのまま 

 

こぼれる