悲しいという感情が生まれると、
それを追わないほうが少し
後悔しなくて済む、という気が
する。いつも後悔については
無視している。そんな暇はない
と自分で自覚しているつもり
だからだ。が、次第にブログ
との距離が離れつつある今は、
そのうちにはもう少し後悔する
というようなことがあるのかも
しれないと思う。
ふつうに弱気になったからだと。
そうは言っても何に弱気になっ
たのかは見当もつかない。
夕方、目久尻川のほうへ散策し
た。川から、アユの群れの銀影
を眺めた。行きかう人も4,5
人いた。しかし、自分のその姿
を、数時間前だ、思い出した
瞬間に悲しみが来た。その姿に
悲しみの理由はないのだが、
泣きたくなった。自己憐憫なの
だろうかと思う。またはこの先
になにか悲しいことが起こる
予兆なのか。
自覚のできない未知のこれらな
のか、それとも誰かの悲しみを
ふと掴まえてしまったのか。
いつもわからないから、今回も
わからないまま終わるのかも。
ただ悲しみというのは、新鮮
なのだ。その新鮮さが僕を
捉える。人は気持ちに揺れ動き、
その揺れ動きに身を任せたく
なることもある。
だから、死にたい、という言葉
は僕にとって死語なので、死に
ようがないほど、その構造を
熟知しているので、簡単な論理
の罠や、無知で性急な感情には
動かされない。高齢になるまで
そんなことを転機につけて百回
も?やって来たので、前線の戦場
でもなければ、とっさの判断で
行動を起こすこともないだろう。
慎重に何日か待つはずだ。
郷愁という感情も好きだ、だが、
それを自ら求めることはない。
自然に起こるもの以外は、ほぼ
自分が秘かに起こすもので、それ
は少なからず、プライドの罠が
仕掛けられているはず。
だから、自分が好きなものが起こ
った時ほど、最初にそれがどこ
から来たかを疑う。自分が非常に
弱っていて、過去の暖かい香りに
非難したり疲れた心を休ませな
ければならないのを、確かにそう
思えた時には、その慰めにすがる。
が、それ以外は、それらは捨て
去り、その場も去る。長居は無用、
と時代劇にもある。
もう20年も、30年も経って、その
夕方に目久尻川を歩く自分の姿を
古い写真で見て、悲しみを感じる
のかもしれない。そういう思い出
ではない、ただ客観的に投影した
映像をふと見するのはよくあるこ
とだ、僕には?
その眼が慈愛なら、悲しみはその
反映だろう。人はそれに気がつか
ない。それには愛に感じるだけで
はない、その動機や成立による
構造の理解が基礎になるからだろ
うと、推測している。
右目を塞いでも左目があるだろう、
平気だろうと思うように、実際は
やってみるとわかる。左目だけで
はまず視界に慣れるべく、調整に
時間がかかると。距離感も今いち
で階段を降りるのは怖いかもしれ
ない。左目で見えているにも関わ
らず、である。視界は良好、だが
気持がついて行ってない。
感じてわかっていると思うことを
言葉にするのは難しい。ところが、
ある表現や思考を苦労して言葉に
することで理解が明確になるのは
よくあることで、むしろ、自分で
言葉にできないうちは理解に不足
していると思った方がいいのでは、
と。
一般も、警察も愛は理解していない。
ストーカーに少しでも愛の片鱗が見ら
れたら、接近禁止どころか、100㎞
でも200㎞でも近くに住んではいけ
ない、元性加害者のように足にGPS
をつけて即、引っ越しを命令しなく
てはいけない。愛のために身勝手な
自死の理屈をもって、殺しに来るの
はほぼ確実だからだ。そこには心理
的カウンセラーの特殊な任務でそれ
を実際に発見・特定できる人材が
必要なので、実現は困難だろうが、
・・・今の警察は男が愛の拒否に
対して、それをプライドをかけて
暴力で補うシステムの無謀さを
知らなすぎる。憎悪を愛のエネ
ルギーに変えることでもある。
現代は愛を複雑にはするが、その
深さに感動できるストーリーを
書ける人もなく、殺したり、幽霊
になったり、歪んだ形に引いてゆ
くだけなので、昔の劇はやはり
プライドと偏見までの初期心理で
時代差でピンボケだし、現代の
生活の複雑化でかつてあった姿が
ほぼ忘れ去られようとしているの
だろうと、僕などは見ていて思う。
曰く、人は男女の愛を感じてから
はそれを求め、だが諦めきれない、
という(深い魔に動かされる)その
通り過ぎるばかりで、事件では
ない、ニュースではない、それ
(真)を知らず、・・か。
愛の数も少ないのか。そうすると、
愛を知る人はそれを愛してもいな
い人に伝えることはしないだろう
から、ますます絶滅危惧種的に
知る人の人口は減少していったの
だろう。
昨日、歌番組で中森明菜が30年
ぶり?に愛の難破船をか細く、歌っ
ていたが、難破したのは船ではな
く現代の愛なのだろう。
以前からの繰り返しだが、愛は僕ら
が望むほど万能ではない。世界が
愛で包まれたなら、人類は少数生物
に降格してしまうだろうと考える。
それは人口増加の主因のためであ
る。一度マルサスやホッブスも読ん
で、その論旨を広げ、進めてみると
いい。
また愛は激しく強い好意、という
のでもなく、僕らの生命に不可欠
で、それに直結したものである。
だから、水を飲めなければ、僕ら
はただ喉が渇くだけではすまない
のである。
僕は砂漠で愛に代わる水を求めて
いる。『ない』、とは知っているが。
名も知らぬ
遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を離れて
汝はそも 波に幾月
ー童謡唱歌 椰子の実より