まとめてその見解を書いて
おきたいとは、それなりに
思っていた。天才は、マスコミや
世間が貼るレッテルに成り下がっ
ているのが見受けられるが、誰も
その見えない火花を知らないから
だろう。
天才が気の毒なのは、彼らが
まぎれもなく障害者だからだ。
天才には、ふつうに興味がそそら
れたので、そして、どの分野でも
古典というと、天才が時代に抗し
た作品を作った人たちばかりで、
常識ある理解レベルを突出している
ので、その理解は様々で統一した
見解は望みにくい。
もう一度プリズムの例えを言おう。
10代で読む古典から、その位置から
は光の緑が見えたとする。20代では
赤が見えたりする。同じ古典を新しい
読み方ができたり、意味を発見したり
する。古典の文章は変わらないから、
変わったのは自分だ。そういう自分
たちが読むから、真の様々な側面を
成長の世代ごとに読むことになる。
これが「自分」は見たくないものは
見ない、経験するまで見えないものは
見えない、という事実であり、真は
あらゆる側面をプリズム的に昇華する
レベルでその全体を統一させるまでは
見えない、となる。
僕らは自分の人生経験の各年代におい
てその自分の各色を見ていることにな
る。
これは天才とか偉才とか思われている
人も例外ではない。
その前に、まとめを書いておこう。
天才の基本は障害者で、その中で社会
生活も可能だった者のことを言う。
電話帳で2万人の名前や住所を記憶して
忘れない、サバン症候群という記憶力の
怪物のような人たちがいるが、それらの
人は精神障害者で、一人では社会との
コミュニケーションが取れない。家族
の親しい人に仲介してもらわないと、
喋れもしない人がほとんどである。
芸術家・劇作家で科学研究もした天才
ゲーテは社会に適した、基礎から積み
上げる性格で、珍しい。
ヨーロッパの小国の国王と同年代で
友達で、息が合って、国の中枢の役目
をする大臣をいくつも掛け持ちした。
国を一人で動かしていたようなもの。
さすがに息が詰まって、後を引き継ぎ
にまかせて、行き先は決めてはいなか
ったが、(結果)2年間の休暇に出かけ
た。相当、煮詰まっていたのだろう。
だが、障害者らしく、恋愛狂でもあっ
た。最晩年のゲーテは74歳の時に、
19歳の娘に恋をして、仲介を通して
求婚したのは有名な話。
これは単に年寄りが若い娘に恋をした、
としか理解されていないが、本当は
彼は文学の魔とか、芸術の魔という
ものを信じた、その証だ。『ファウスト』
の第2部を最晩年に完成させたのも、
それまで心にしまって完成していたもの
を、書かなかっただけだろう。もう最後
だからと、心の封印を解いたのだ。
恋情を手に入れるのは、ゲーテは使命
だくらいに考えていた筈だ。そこから
創造の文学・劇などの作品が生まれる
のをよく知っていたから。実際、娘側
からうやむやに断られたその失恋を
晩年の詩に結実させている。
ゲーテほどの地位・名声がある男は
家柄のいい貴族の娘と結婚するのが
当時の上流階級の習わしで、小間使い
に手を出しても、よくて愛人にする
くらいの扱いだった。
だが、ゲーテは周囲の不評を受けなが
らも、気にすることなく、結婚してい
る。それが障害者の自由な変人ぶりな
のだが、ふつうの貴族ならやらない
ことだ。
自然科学でも、色彩論に真実を見出し
て、ニュートンの色の理論は間違えて
いる、と公言した。進化についても
メタモルフィスだったか、変身論とい
うダーウィンとは異なるが、その進化
の表面の変化について研究している。
それらはゲーテが信じた、芸術の魔
に拠る直感による論だったらしい。
進化論はその因を問う論がいくつか
あるが、それらの前身のひとつだろう。
なので偏向はしているかもしれない
が、幾分の真は含まれているだろう。
ファウストは世間の批判を恐れて、
書くのを遅らせていた感がある。それ
は『種の起源』を書いたダーウィンも
同じだった。
そのノートには、次の『人の由来と性
に関連した選択』では人間は猿と分岐
した類人猿だと、『種の起源』から次に
書くまでに10年以上もためらって、
進化についてもいろいろ考えが変わっ
たことを、述べている。進化論の細か
い枝葉では、考えが変わって、ただの
論の延長ではないことを示している。
聖書社会であったから、これが掟破り
になるのを十分に承知していただろう。
ダーウィンは、だが、天才的ではなかっ
た。細かいことにこだわりすぎるから、
書くのも遅れたし、慎重な学者気質で
体も弱かった。晩年はハッピーエンド
の物語しか読んでもらわなかったそう
だから、精神負担を嫌う年寄り相応の
読書だった。
あまりいい例えではないが、器用とい
うと、ナイフや包丁を使うことで、
才能となると、のこぎりで木を切るこ
とくらい。それがチェーンソーとなる
と、世間では天才くらいに賞賛するが、
それはまだ異才、奇才、秀才くらいだ
ろう。天才となると、レーザー光線の
ように、しかも一瞬で木を切ってしま
う。それは現実に存在しないが、何が
起こったのかわからない、それくらい
で天才と呼ぶべきものだ。
モーツアルトは子供の頃で、教会音楽を
門外不出で誰も楽譜を持っていないのだ
が、年に一度のその音楽を教会で聴いて、
一度で全部、楽器ごとに覚えてしまった。
短くはない楽曲だとは思うが、子供の頃
から記憶力は異常だった。そして、その
くらいの記憶力の持ち主は現代の作曲家
にもいるそうだ。
モーツアルトはその記憶力に加えて、
異常な作曲能力を示した。短時間で
その一発で、(演奏すれば1時間もかかる
楽曲)を聴いてしまう、それが彼の作曲
なので、作曲が瞬間芸のようなものだ
った。とても信じられないが、その曲
をモーツアルトは楽器ごとに写譜する
のに2週間(この時は2交響曲同時!!
なので、1曲1週間か)かかった。その
楽譜に修正の後がほぼ見られないので、
聴いたままを書き写したというのは
誇張ではないだろう。鼻歌を歌いなが
らとか、友達と喋りながらだったとか。
モーツアルトは一時は高収入の階層
に属したが、彼は世間を学ばなかった。
できなかったのだろう、音楽の嵐で
忙しくて。
貴族の支援で食べていけたのだが、
フランス革命の風潮に迎合して、貴族
批判のオペラをいくつもオペラ脚本家
と共作して、貴族の反感を買い、結局
支援者は一人だけになって、貧しくな
った。晩年(35歳)の葬儀は最低から
1ランク上の棺で、葬列も支援の貴族
一人と他数人の貧相なものだったそう
だ。
僕らはゲーテの『ファウスト』もダー
ウィンの『種の起源』も読んでいない
し、モーツアルトの『交響曲』を全部
聴いたことはないだろう。(僕はそれを
知って、一度だけ、彼の交響曲を全部
聴いた。意外と2,3小節は後の曲でも
使い回ししていた。ほんの一部だが、
全部が完全オリジナルではなかった。
これは聴いてみないとわからない。)
なぜ古典は有名だが、名前だけ知って
いる割には読まれたり聴かれたりして
いないものばかりなのか。
それは理解が簡単ではなくて、敷居が
高く感じられてしまうせいだろう。
そして、実際に古典は古いからだ。
クラシックの意味は古典的・伝統的
で、時代を超えて価値があるとされて
いるものだが、天才たちが作ったもの
が多いから、実際には当時から理解さ
れにくかった。
見識上では古くならないのだから、今
でも理解が遠いのは矛盾しているよう
で、それで正しいのだ。
古くて、読みにくい、となれば、埃を
かぶるのは必定だ。古典にたどり着く
時代の少数の人たちが評価して、細々
と生き続ける宿命なのだろう。
バッハは音楽一家で、当時では3番目
のオルガン演奏者としての評価でしか
なかった。だが、ベートーヴェンも
モーツアルトも当時から評価していた。
そして、大バッハとして抜きんでて
古典の大御所として評価されるのは、
やはり作曲家に拠るのだったが、それ
は80年後のことだった。
真の天才は、おおよそはいつまで経っ
ても、その真実ゆえに理解されない
運命なのだろう。
どう見ても、気の毒だ。まるで、理解
されにくいから、書店、各家庭で埃を
かぶって長生きらえる、みたいに。
すぐに理解されるものは、すぐに飽き
られて、流行の波に消えてゆく。
唐突だが、モーツアルトの癖は
トランペットの音が嫌いだったことだ。
J・S・バッハの『ブランデンブルグ協
奏曲2番』では小気味よい演奏をする
のだが、・・・それでモーツアルトの
楽曲にはトランペットが登場しない。
好き嫌いなのだろうが、それも個性の
道に現れる蛇なのかもしれない。
::次への展開
多くの障害者が天才的な才能を示し
ながら、社会生活ができないのは、
ある意味教訓的である。天才に特化
した僕らの内臓の何かは、その異常な
能力のために他の何かを犠牲にしてい
る。
逆に、天才は変人を免れないが、社会
人としての自分を抑制して生活できる。
その秘密はまだわからないが、天才の
可能性は藤井翔太の将棋に見られるよ
うに、ファジーな直観力はコンピュー
タをも上回る。
では、創造の門とは何か?
そこに天才などの創造のシステムが
格納されている。それはまた、どうい
うことであるのか。
天才の謎は、やはり、楽しい。