カノンを聴くと 楽になる 

 

癒しの曲らしい 

 

ピアノが よく似合う 

 

 

今日、坂下の川沿いでのコンビニ

 

に行った。郵便ポストに手紙を

 

入れると、帰りは急坂を上ること

 

にした。 

 

上がってゆくと、女のおじいさん、

 

つまりおばあさんだが、小雨の下

 

で階段で腰を下ろしていた。

 

こういうシチュエイションは知っ

 

ている。待ち受け画面というやつ

 

で、腰を下ろしている年寄りは

 

大抵そうなのだ、と自分では

 

決めていたようだ、笑。

 

ふつうではない感じがして、

 

そのやや品のいいおばあさんに 

 

声をかけられた。

 

「いつも(この急坂)を上って

 

くるの?」と言うので、「よく

 

利用しますね」と答えた。

 

少し、話になって明日は高尾山

 

へ行く話をした。気をつけて

 

いってらっしゃい、はい、行って

 

来ますという感じで、帰り道を

 

辿るが、ふつうではないのは

 

どうも大黒様がついているので

 

はないかと思い始めたことだ。

 

人間ではない感じはなにか

 

神様じみたものが憑いているの

 

だろうと、素人考えをしたまで

 

だが、それで待ち受け画面だっ

 

たのだ、勝手に思い込んだ。

 

 

なにか手伝えば、ご利益でも

 

あったろうかと、今思うが、

 

その時はまず思わない。

 

神社・仏閣へ行っても、神頼み

 

や願い事はしたことがない。

 

昔はそういうものを信じなかっ

 

たからだが、現在では何か居る

 

というのは否定できない。

 

北アルプスから帰って来た、24歳

 

の頃から数年は天気につきまくっ

 

た。話しても信じられないこと

 

ばかりだ。

 

他にも自分には見えない心臓が

 

二つあると思い込んでいた。

 

太陽と木星が合の時に生まれた

 

からだが、それは自分で自分は

 

運がいいと信じてきたことだった。

 

それで他に幸運を依頼する気持ち

 

はなかった。

 

しかし、ほんとうについたのは

 

両親の病院の世話などで10年を

 

越してからだった。

 

還暦になり、病院の匂いから開放

 

されて、いろいろな巡り合わせで、

 

死のゾーンと愛のカテゴリーに

 

揉まれて、そのあたりから日常が

 

さまざまにシンクロし始めて、

 

あり得ないことが日常茶飯事に

 

なりだした。

 

バンジーをやって4秒気絶して

 

すぐに回復したのもこの頃だ。

 

 

僕は闇に落ちる決意をすること

 

になるとは思いもしなかった。

 

最近だ、ブッダが闇を追求し続け

 

たとは思えない、と発想した瞬間、

 

死ぬ前にギリギリの地点で区切り

 

を見いだして、戻ってきたはずだ、

 

という考えが、わっと波のように

 

襲って来た。

 

そして、自分もそれを試そうと

 

思い、どこが断崖絶壁かわからな

 

い闇の坂を下り始めたらしい。

 

それは意識してできることでは

 

ないので、やがて全体が希望の

 

ない無に覆われ始めた。僕は死に

 

ゆく道を辿り始めた。

 

しかし、自覚がないからついに

 

自分も無の世界に吸い込まれる

 

ように終わるのだと思い始めた。

 

それを叩きつけるようにブログに

 

書いた。書いたら、急に軽くなっ

 

た。

 

それでわかった。

 

僕は終わった、と。そしてそれは

 

死ではない。死はとっくに日常で

 

身近な存在であり、時には休憩場所

 

であった。

 

僕も区切りを見いだしたのだ。それ

 

は僕の人生の集大成でもあった。

 

19歳の体験の始まりから、終わらな

 

い旅が始まり、まさかと思いもしな

 

いで旅の終りがあったのだ。

 

まさか、終わるとは。

 

僕は限界だから終わるが、全体は

 

真に終わることはない。別な人なら

 

また別な旅が用意されているのだ

 

ろう。そういう風に考えられるよう

 

になった。僕の悟りに似たように

 

なった、この旅は悟り全体の百億分

 

の1の旅なのだ。

 

僕は終わるが、他の人はその人なり

 

の他の限界が必ずあり、あるがそれ

 

はまた別の話で、人生だ。

 

 

確かに僕は幸運だ。僕の精神に

 

終わりはないだろうが、それでも

 

この追及に終わりを迎えられる

 

ことは至福の限りだ。感謝したい。

 

 

 

僕らの人生は無尽蔵だ。尽きるこ

 

とがない。僕らの文明や文化の

 

歴史で誰が何を言おうが、それは

 

地球の歴史から見ても、たった

 

百億分の1、百兆ぶんの1,百京

 

分の1の話に過ぎない。

 

その事実が嬉しい。なにも安心は

 

できない。僕も、いや誰も救われ

 

ることなど未来永劫ないのだ。

 

だから。安心してリスクを取って

 

好い、不幸も逆境も楽しめば楽し

 

める。それが人間に許された自由

 

というものだろう。

 

働かずにキャッシュフローで小金

 

がいつもあって、自由に世界中

 

どこでも行けて、贅沢な食事・

 

邸宅という暮らしが人間の自由だ

 

などとは、なんてケチ臭い自由

 

だろう。

 

すぐに飽きてしまうではないか。

 

実際そうだったし。

 

人が褒めてくれなければ満足でき

 

ないものは高が知れているのだ。

 

そういう賛美してくれる人たちを

 

必要とするのはその人たちの賛美

 

を欲しがる奴隷だというのと、

 

あまり変わらない。

 

それをしっかり納得しているなら、

 

もう別な生き方をしているだろ

 

うに。

 

自由は求めるものではないと

 

知らず、自由を求めて、毎日

 

楽しもうとあくせく海外・国内

 

旅行してついに過労で入院して

 

しまったのは他ならない、この

 

僕だ。金はある。なら自由を

 

満喫したい。そして、体力も

 

顧みず、過労から発熱して、入院

 

という事態になってしまった。

 

 

今、ありあまるほどの自由がある。

 

なぜだろう。しあわせであること

 

と自由には似た側面がある。

 

自分がほんとうに何をしたいか

 

まったく知っていること。それが

 

できなくても、その形を変えられ

 

ること、その気持ちと精神の幅を

 

もって、物事に対処するにいつで

 

も適応できること。その時、人は

 

誰しも自分の中に自在感を感じる。

 

何にでも楽しみを見つけることが

 

できる自在感というもの。

 

それは満足感と異なる。他人の

 

欲求を自分のと間違えてはいない。

 

それはつまり、自分を知っている

 

から。

 

だから、自分を裏切れない僕らは

 

自分を知ることはなく、外野の

 

要求に合わせて、社会人の服を

 

着て満足する、他人のために。

 

それは身を守るために必要な事項

 

であって、自由にはなれない

 

ことを示しているのだから、自分

 

が何をどのように人生で選択する

 

か、であるのだが、人生の動機は

 

人間として生まれ出る前提で決ま

 

っていることが多いように思える。

 

 

人生に、と思って実は世間に巻き

 

込まれて他人を生きるのも、それ

 

も人生の一部だから。

 

単一を常に選べる人生もないのだ

 

ろう。他人に追従しながら、その

 

社会の一員としての人生をそれな

 

りに楽しむか、その中でも反発し

 

たつもりの芸や文、政治や経済の

 

分野で生きるかの人生もある。

 

 

自分を知るという、苦しみを選び

 

続けられた僕は、その意味で幸運

 

なのかもしれない。不思議な出来

 

事や空気はそういう人間が好きな

 

のかもしれない。特別なへそ曲がり

 

は面白いのだろう、見ものなのだ

 

ろう。数奇な人生、数奇な、とは

 

よく言った。好きな、と。

 

 

集団の無意識があるから、全員が

 

好きな道を走ることはない。秩序

 

は壊れそうになれば、必ずそれを

 

保とうという者が現れるし、それ

 

が自然というものだ。

 

リスクや冒険は、その慎重さは

 

必要だが、それ以上に恐れること

 

はない。

 

もともと、僕らが現実をありのまま

 

見れるならば、僕らは守られている。

 

そうでないのは、以前に、それを

 

拒否しているからだろう、と僕は

 

考えている。      7.13?

 

ここまでと思うのも、実際には

 

早すぎるのだろうが、それでも

 

高齢になっているのなら、それも

 

一興なのだ。

 

純然たる限界は決められないかも

 

しれないが、限界はその時その時

 

に訪れて、人にそうだと思わせる。

 

ほぼ休憩が必要な時だが、そこか

 

ら優雅に生きてゆく道を選ぶのが

 

よいのだ、という人生もあるのだ。

 

それはその人なりの懸命さにある

 

もので、他人には想像が及ばない。

 

 

自由を苦難から選ぶのも、不自由

 

を人間関係から選ぶのも、その人

 

の自分を知った度合いから生まれ

 

た限界であって、それが時々に

 

現れる限界という峠であっても、

 

それを越えて下るのか、峰伝いに

 

新たな山を目指すのかは、それ

 

ぞれの進路でしかない。動機や

 

理由は自分がよく知っている。

 

大事なのはその、よく知る自分

 

であること、逃げた過去を引き

 

ずっている自分の背中ではなく、

 

自分が自分をよく知っているこ

 

とである。

 

 

人生が一度切りもほんとうだが、

 

いつでもやり直せるのも、ほんと

 

うのことだから、自分が自分に

 

見切りをつけたという裏切りに

 

負けてしまうと、やり直すという

 

動機を信じられなくなる。そう

 

ではない。それらはすべて自分の

 

中で起きたこと、起こしたこと

 

なのだから、それを今どうするか

 

は、やはり自分次第なのだ。

 

自分で決めることなのだ。他の誰

 

でもない、生きているのは誰あろう、

 

自分自身ではないか。

 

新しく生き直す必要がある時は、

 

僕らにためらいはいらない。

 

 

自由は世界のまた、理想とかの

 

金箇条・絶対のものではない。

 

けれども、僕は好きだ。ただ好き

 

だ。だから、僕はそのために思う、

 

死んでもいい、もちろん、生きて

 

もいい。生き死にのために自由が

 

あるのではないだろう。

 

僕は知りたい。自分は何か。そし

 

て、知っているのは、今の自分は

 

明日の自分ではないことだ。

 

自分が何をほんとうにしたいのか

 

知らなくて、自由もへったくれも

 

ない。自分がそれが好きで、でき

 

て、やりたいと思っている、それ

 

が自由だ。自由の前に苦難はない。

 

それを乗り越えたいと思わせられ

 

るから。勇気がそこに生まれる

 

から。自分を大事にしたいという

 

のは、失敗して死んでしまうこと

 

ではないし、失敗を恐れること

 

でもないし、死を恐れることで

 

もない。

 

死んでも自分でありたい、という。

 

どう転んでも、それが自分のした

 

いことであるなら、生き残るより

 

もそれをしたいのなら、それを

 

生きよう。それが名誉で誇りで

 

あるなら、最後まで自分を生きる。

 

たとえ、それがもう、自分という

 

残影さえ見えない姿であったと

 

しても。

 

あれか、これ、ではなく、その

 

微妙な差というものであっても、

 

その理解は遠く、深遠かもしれ

 

ない。今も未来にも、英雄とか、

 

立派な犠牲にならなくていい、

 

祀られなくていい。

 

ただ自分でありさえすれば。

 

世界が自分であれば、その全体が

 

自分を包んでいるならば。そうい

 

う自分でありさえすれば、

 

僕らは。