駅は竹内まりあが中森明菜に贈った

 

楽曲だ。この2,3日この「駅」を

 

作曲の竹内まりあバージョンで

 

聴いていたが、いつしかハマって

 

聴き続けていた。

 

これは個人の感想で、勝手なこと

 

を言うがこの説明をしておきたい

 

ので、あまり気にしなくていい。

 

 

駅は竹内まりあの優しく歌う

 

バージョンがいい。きつくはっきり

 

歌うバージョンもあるが、キンキン

 

と突っ張り気味に聴こえるので、

 

少し低く優しく歌う方がいい。

 

名曲だという評判通りの曲で、

 

せつなさがあるが、ずーっと聴いて

 

いて、気になりだしたのは、高音

 

ではヒステリックさを感じさせら

 

れたことだ。前から、気は強いな、

 

と思っていたが、いのちの歌、人生

 

の扉、純愛ラプソディなど他、聴い

 

ていいなと思う曲があるのだが、

 

昨日は4時間と9時間で計13時間

 

寝ていたのだが、そのせいだろう、

 

いろいろな妄想じみた考えが湧い

 

て出た。

 

 

何を思ったかと言うと、夫の

 

山下達郎が中森明菜の駅の解釈

 

を酷評したらしいという、動画を

 

観て、気づいたことがあったか

 

らだ。

 

その中森の歌い方だが、僕も

 

一度聴いて、くぐもった声で、

 

はっきりしない、奥まった印象

 

でよくなかった。もう聴くつもり

 

はなかったが、自分の感性の傾向

 

を確かめたくて、聴いてみたら、

 

どうも中森明菜の解釈も正しい

 

ように思えた。と、ここまで書い

 

たら、全部書かなくてはならない

 

だろう。

 

「駅」の曲は表に聴こえる通り、

 

過去への想いがせつなく心をえぐ

 

るほどに突き刺さる名曲だが、

 

そのバックボーンはどうも違うよ

 

うに聴こえた。

 

これは音に聴こえる訳ではないが、

 

まりあのセックスのリズムでは

 

ないか、と本人前にしては言え

 

ないが、そんな気がした。

 

バックにあるのはその喘ぎ声だと

 

いう、なんとも失礼な評なのだが、

 

女の執念のようなものを感じて

 

しまった。

 

山下は音楽職人だから、まりあの

 

長所はよく知っていて、はっきりし

 

た歌い方がいいと思ったらしいが、

 

それはそれでまともだと思う。

 

だが、明菜もまた女として、聴こ

 

えたかどうか知らないが、そういう

 

声を聴いたのかもしれない。無自覚

 

な直感だろうが、明菜にはそういう

 

処がある。

 

そう思って、明菜盤を聴くと、なぜか

 

納得してしまう自分がいる。彼女も

 

なかなか独自の芸術センスがある

 

のだ。

 

 

僕はこの頃、闇と言っていい心理に

 

陥っていると思える領域をさ迷って

 

いた節がある。その影響かとも思え

 

るので、逆に影響に感化された誤解

 

かもしれない。

 

今も「駅」を聴いて、聴きながら

 

これを書いている。

 

聴いていると、妄想も去るようだ。

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=4eZvlRWWbR4