ひとつだけ言えることは?

 

そんなものはなにもない、という

 

ことだ。

 

そんな言葉は自由を掴まえたかの

 

ようにハッピーで自在な気分だろう。

 

一緒に来いよ、そのほうが楽だろう。

 

外界への架け橋、その関係は

 

そんなものでいいだろう。

 

 

でも、自分のハートは別だ。ギザギザ

 

に傷ついている。体にアドレナリンが

 

雪崩れ込んだせいで、まだ神経が

 

ズタズタなのだ。これは疲労状態で

 

正確に内臓や器官のなにかが

 

破損したり、歪んだのではない。

 

 

ああ、鳥が 鳴いていると 

 

思えばいい 

 

笛の音色で  演奏会のように 

 

壁を つま弾く  カササギだ 

 

つらさが ある 

 

アドレニンの  アドレスだ 

 

答えようもなく 

 

肩甲骨が 痛みを 

 

押しつけ られるよう 

 

ゴシックよ  クラシックよ 

 

どうして 君たちの古さは 

 

慰めを  秘めているのか 

 

天井よ  破壊よ 

 

神を謳う  欺瞞よ  

 

そういう批判よ  衒(てら)いよ

 

管弦楽器になった 頭よ 

 

カッキングレー よ 

 

大根の お浸しよ 

 

マーマレードの  スプーンよ 

 

まともに 喋れる 聖歌隊だろうか 

 

むん! 疲労の 生ツバよ 

 

 

カッコーは 過去に 去った 

 

ラッコは 可愛さで  飼えた 

 

リッツは 変動率を  脱ぎ捨てた 

 

靴は クッツのことじゃ ないけ 

 

今 指 立てる?

 

聴こえるのは  よく聞いた 

 

そう あの 思い出せない 

 

有名な 曲だ 

 

どうして こうも 時間が 

 

経たないの だろう 

 

引き潮が すべてを  遠くへ 

 

返す波が また  来るのに 

 

うすいパラフィン紙の 向こうに

 

人々が 行列で  歩いてゆく

 

影のようだ 

 

影絵 のようだ 

 

 

螺旋のように クルクル回る 

 

僕の 人生は 終わった 

 

この先は  両足だけが 進む 

 

頭は 置いてきぼりに 

 

メンチカツを ふたつに 割る 

 

砲弾は 降る  フォークは 

 

攻めてくる 

 

こんなにも  あんなにも 

 

思惑と プロパガンダが 

 

風船と ともに 落ちて来る 

 

 

時々、僕らの生活は気違いじみ

 

ている、と思える。家族が殺され

 

た痛み・悲しみを誰が癒してくれ

 

るのか。20年か、30年が実際に

 

それにかかる働きかけであり、

 

慰安の営みの記録がある。だから、

 

今、たった今、その行為をとどめ

 

なければ、その日数だけ慰安のため

 

の必要な日数が重ねられて行く。

 

なぜ、誰も教えないのか。その事実

 

を的確に心に落とすことを発明しな

 

いのか。自分が兄弟・子供の血で

 

血まみれになっても、その犯人・

 

隣人を許そうと言える人はいるのか?

 

答えはひとつだ。そうなる前に止める

 

策が発動していること。それには関係

 

が密になって、そうならない防護策が

 

いつでもあることだ。それは機械によ

 

る監視・管理にたよることではないだ

 

ろう。それではその悪用・利用がより

 

悪い結果を招いてしまう。

 

防護策は恐怖から行うのではなく、

 

犯人当ての証拠集めをするのではなく、

 

僕らの意識を変えなくてはならない。

 

どんな物理的な防御を考え、施行し

 

ても、それを扱う精神が健全でなけ

 

れば、それが明らかに認識されてい

 

なければ、それを知らない周辺は

 

暴力や大きな声に従うより選択肢

 

がないと判断するしかない。

 

その判断は他力に違いない。自力で

 

判断するには、まず暴力や戦争を

 

実態ごと丸々明らかにして、その愚か

 

さをどんな暴力や戦争の必然とか、そ

 

れは必要悪なんだ、という言い訳

 

から切り放さなければならない。

 

戦争反対という理想は、暴力反対と

 

いう理想と同じく、単なる思考の・

 

頭のプロパガンダでは現実を破れない。

 

自分が売らなくても、誰かが武器を

 

売るんだ、だとしたら、自分が売っ

 

ても同じじゃないか、なら儲かるだけ

 

自分の利益にした方が得だ、武器を

 

持ってしまう結果は同じなんだからー

 

という欺瞞をしっかり否定できる

 

認識を持たなければ、世界はなにも

 

変わらない。

 

そして、そういう理想を否定し、

 

また肯定するというそれぞれの認識が

 

どういう場合に有効かという、矛盾を

 

克服していなければ、中途半端では、

 

戦場で心は二つに裂かれる。

 

ともかく戦場では一瞬の油断やためらい

 

が生死を分ける。それは自分のことで

 

はなく、味方のことだ。新兵に心を

 

許せるのは、その新米が平気で敵を

 

殺せるようになってからのことだ。

 

まず、殺させる。それがいつでも

 

迷いなくできれば、味方の一員として

 

扱ってもらえる。その時、戦争は

 

人殺しだというのは、現実の戦場に

 

出たなら、ただの理想論に過ぎない。

 

あなたはその手で敵という、ひとりの

 

人間たちを殺すことが求められるし、

 

できなければ、味方からは見殺しに

 

されるだろう。敵も殺せない兵士は

 

兵士ではない、むろん、仲間ではない。

 

仲間として協力するという絆は人を

 

殺して成り立つのが戦争だ。

 

戦争の実践地でない国で戦争反対は

 

できるだろう。そして、戦場へ出る

 

当事国の兵士に召集されたならば、

 

もう目の前は戦場だ。その時に

 

その現実の認識と理想の認識の乖離

 

を意識している。当然、矛盾する。

 

その時にどう切り替えをすべきか、

 

どこで理想から現実へ、現実から

 

理想へと考えを変換しなければなら

 

ないか、しっかり意識ごとにその

 

立場を生きる覚悟に、設定すること

 

が自分の心に対してできないと、

 

まず気がおかしくなるか、戦争

 

後遺症でトラウマを引きづったり、

 

心的外傷後ストレス障害で、悪夢や

 

不眠、フラッシュバックや感情の

 

鈍麻、というどうしても生きづらい、

 

憂鬱から逃れられない、そういう

 

精神生活が残りの生涯を支配する

 

ことになりやすい。

 

僕の考える防護策というのは、前

 

もってそういう時に味わう体験を

 

お芝居や演劇などで疑似体験する

 

ことだ。実際に殺さなくても、そう

 

いう台詞を演じ、そのことを後に

 

なって反省する時に、戦争や暴力の

 

虚しさを自分なりにどう行為するか

 

瞑意(考えるというより、その気持ち

 

も同時に潜在意識に落とす)するだ

 

ろう。

 

だから、苦しい場面や危機の立場に

 

立って、「その時、自分だったらどう

 

するだろう」というシュミレイション

 

は日常に必要で大事だと思う。

 

 

カマンベール ?

 

食べるか? 

 

空へ 連れて行って 

 

雲を  見てみるわ 

 

ほんものの 雲よ 

 

それは きっと 霧のような 

 

下から 見たように 

 

手で つかめない ものなのね 

 

なにか 雲のかたまりって 

 

あると 見えていても 

 

雲は  きっと  雲 

 

なのね 

 

 

僕らは現実に対して自分の考える、

 

ほぼ教わったことの、マスコミや

 

新聞、教科書や本で見た、きれいな

 

理想を見ようとする。きれいな

 

生き方を求めようとする。

 

それは順番ではない。その後戻りの

 

できない現実に出会う前に、苦痛や

 

悲痛の経験が必要になる。それを

 

欠いた経験・その反省からではない

 

考えは綺麗な自分宣伝に過ぎない。

 

戦争を美化する自国のプロパガンダ

 

と同じものだという認識が正当だと

 

わかるまで、その疑似体験でもして

 

おく必要がある。

 

数学が嫌いな子供はすべて数学が

 

できない子だ。人を誰か嫌いになる

 

人は、その人のある部分を理解しない。

 

わからないから恐れ、不安が不快を

 

呼んで嫌うだけ。好きにならなくても

 

数学嫌いはしなくなる。理解が届けば。

 

 

まず、自分とは何か。全人類の90%が

 

避けて来た命題が、そこに関わっている

 

から。・・やってみればわかる時が来る。

 

 

成長するのが「自分」という体であり、

 

心であるなら、僕らは子供の頃、少年・

 

少女の頃、青年・乙女の頃の自分を

 

知っている。そして、変わり続けた自分

 

でもあると、反省できる。今の自分は?

 

その成長過程だから、知ることはでき

 

ない。明日になって、昨日の自分を

 

反省するしか、ない。

 

書かれたものは、いつの時代か、いつ

 

の日か知らないが、すべてその著者の

 

視野の特別な一人の心の下に書かれた

 

ものであるのだから、どれもその人の

 

二番煎じに違いない。自分とピッタリ

 

の他人というのは実際、存在しない。

 

ほんとうに必要で役に立つのは、今の

 

自分を推し量るその努力でしかない

 

だろう。

 

 

苦き 汁(つゆ)

 

自己嫌悪が 最初に来ない 

 

反省も ない 

 

晴れ渡る 空を

 

自己理解が 最後に来る 

 

反省もない

 

 

ひとつだけ言えることは?そんな

 

ものはなにもない、ということだ。

 

そんな言葉は自由を掴まえたかの

 

ようにハッピーで自在な気分だろう。

 

一緒に来いよ、そのほうが楽だろう。

 

こうして突然、兵役は義務化され、

 

戦争に行く正しさから逃げられない。

 


昭和天皇はアメリカと戦争をする気

 

はなかった。それは各国にも伝え、

 

アメリカもそれを知っていた。しかし、

 

アメリカは戦争に乗じる機会が欲し

 

かった。ルーズベルト大統領は日本

 

の内閣に画策して日本を戦争に引き

 

づり込んだ(太平洋戦争=大東亜

 

戦争)、という説がいくつかあるが、

 

どうだろう、なにをどうすればこう

 

いう事態を防げるだろうか?