子供ができて初めて親になった

 

時に、最大の恐怖があった。

 

子供が万が一浚(さら)われる

 

ようなことがあったら、と思っ

 

たら生きた気がしなかった。

 

そこで例の得意の想像ストーリー

 

に自分を乗せた。

 

海外に売られてしまう例が思い

 

当たった。そうしたら自分は

 

どうするか、会社を辞めて、海外

 

へ行き子供を見つけるまで帰らな

 

いだろう、そういう自分をとこと

 

ん見つめた。見つめることができ

 

た。そのアトラクションを終えて

 

から、やっと少し肩の荷が下りた

 

ように、やや安心した。何が何で

 

も取り返すのだ、それしかない。

 

その過程で相手はマフィアのよう

 

なシンジケートだから、こちらが

 

死ぬかもしれない。だから、それ

 

も良し、としよう。また子供が

 

麻薬づけになっていたら、帰ら

 

ないと言い張ったら、それでも

 

何時間でも説得して切りを見て

 

引きづってでも一緒に帰って

 

来よう。それまでに脱出用・逃亡

 

用に何が必要かを考えて、準備

 

したり、用意したりするものを

 

登山の準備の要領で考え、それ

 

らのソフト・ハードに向き合った。

 

心が折れる、疲れる作業だが、

 

それらをやろう、と決心したら

 

大きくため息が出て、少し楽に

 

なった。

 

実際子供がスーパーかどこかで

 

行方不明になったことがあった。

 

少し探して見つかって、ほっとし

 

たが、見つけられた子供は面白い。

 

親の気持ちなど知らないから、

 

あっけらかんとして、ちょっと

 

遊んでいたという感覚で、笑って

 

いた。そして、子供はそういう

 

もんだとその時は思ったが、実は

 

そうではなかった。

 

子供は自分が行方不明になっても

 

心配しないし、不安にもならない

 

が、親に会うと敏感に親の不安な

 

感情を受け取る。

 

子供が浚われる恐怖は、実は

 

親の心の潜在的な背景からやって

 

来ている。

 

そして、次回親からはぐれてしまう

 

と、しっかり不安になり、泣くので

 

ある。不安にさせるのも、泣かせる

 

のも親の態度を知るからなのだ。

 

それで親がまったく不安な態度を

 

見せないと子供は幾度も勝手に

 

行方不明になって遊んでいる。

 

この子供に備わった親への(無自覚

 

な)絆はよくできている。人間の

 

場合は恐怖を経験則で学ぶのだ。

 

そして、親も子供が怖くて泣く

 

ことで(無意識にも)安心する

 

のだ。これからも親の側を離れな

 

いだろう、と予測するから。

 

 

子供が一人になっても泣かない

 

のは縄文時代のことだろう。

 

いくつかの集落がまた集まって

 

共同社会を築いていたが、競争

 

する経済条件がなく、作物の

 

過剰な自己所有もないので、そこ

 

に支配関係も生まれない。子供

 

が浚われる環境がないから。

 

あるのは迷子だろう。だが、迷子

 

で獣に襲われたり、転落で事故から

 

亡くなっても、それは自然死とし

 

て認識されただろう。

 

そこでは平等という不公平もなく、

 

弱い者には小さく、強い者には

 

大きく狩猟などの報酬が不平等に

 

あって、結果公平に落ち着いた

 

だろう。森に迷ったりするのは

 

恐れるような事態ではなかった。

 

生活の一コマであったはずだ。

 

 

農村社会になり、穀物を倉庫で

 

所有する生産経済を引っ提げて、

 

私有を求めて競争が始まると、

 

子供も所有物のひとつになり、

 

作物・建物・使用人などの資産

 

の所有者の一員をなすので、

 

その子供にも資産や社会のルー

 

ルや価値の支配を学ばせる必要

 

が出てくる。教育の始まりで

 

ある。

 

余談だが、イギリスのサッカーの

 

レジェンドであるベッカム選手は

 

その子供を学校に通わせるのに、

 

軍事用の装甲車を使用していた。

 

 

その歴史の背景を僕らは生まれて

 

から、知らないままに親から無意識

 

にも、学校でも空気として吸収し

 

て、また教育の言葉として学ぶの

 

である。

 

立派な大人の説明がついて、善と

 

か愛とか、尊敬とか正義とか、

 

協力や助け合いという表向きの

 

正しさはあるのは必然だが、それ

 

はまた表向きだけではなく正しく

 

もある僕らの心情から生まれた

 

必然だが、それと貼りついた裏の

 

偽善や義務、(焼肉定食ではなく、

 

笑)弱肉強食や保身、必要悪や権利、

 

そういうあらゆる言い訳や過剰な

 

ルールの悪用が用意されていて、

 

僕らはそれを知らず、また知りな

 

がらも、無意識に受け入れている。

 

 

僕らは頭ではどう考えようとも、

 

子供を支配する歴史の恨みを

 

受け継いでいる。お互いに自分や

 

家族が一番大事、それは仕方の

 

ないことだと認め、そのために

 

社会に保証を求め、一方で同胞に

 

敵対する保身などを恐れている。

 

ここには自分と(一体の世間と)

 

いう背景があって、見えない連携

 

でお互いに縛り合う関係を築いて、

 

我慢し合っている。

 

いい関係を保つための正規な我慢

 

もあれば、世間の理不尽な犠牲に

 

被害者になり、ただ耐えるだけの

 

我慢もある。

 

だから、そこに恐怖の根があるのは

 

あまりにも明解なことで、僕らは

 

それを知らないと自分に無意識に

 

言い聞かせて、そして無理して忘れ、

 

実際に知らないだけなのだ。実際に

 

は知ろうとすることを放棄したのだ。

 

それを世間では本音と建て前と言っ

 

て、看板に但し書きにしてわかっ

 

ている風をしているが、自分で

 

思うほどに本音は本音ではなく、

 

建前はこうありたいという本音

 

でもある。うまく自身を胡麻化し

 

ている。

 

それでそれを本当に曝(さら)

 

け出すとなると、緊張が走り、

 

恐怖に包まれる。何が恐ろしい?

 

恥をさらすのを恐れる。では、

 

その時の本音が恐怖に違いない。

 

それは秘密に保とうとするのが

 

暗黙のルールであり、それを破る

 

ことは皆の掟を破ることで、それ

 

は人から嫌われ、疎外感を味わい

 

たくない状況に、自分で追い込ん

 

でいるのだが、実際は自分が追い

 

込まれていると、苦しみや悲しみ

 

を感じ取るのである、その予想を

 

呼び起こすのだ。必要以上に周囲に

 

気を遣うのだが、必要の線引きも

 

困難なのかも知れない。

 

そこから恐怖が生まれる。恥で

 

なければ、そこにはなにもない。

 

あるのは自分という透明なマント

 

に隠れた僕やあなたがいるだけだ。

 

 本人は隠れているつもりだが、


透明なマントに何が隠せるのだ


ろう。


その上で一例を:::僕は67歳

 

くらいまで恐怖はなかった。その

 

証明は随分前にブログに書いたが、

 

夜の堤防から黒い海に落ちたこと

 

だ。眼をつぶって堤防の端から

 

端まで真っ直ぐに歩けるかという

 

遊びをして、見事海に落ちてしま

 

った。落ちると思っていなかった

 

し、眼をつぶるとかなりの恐怖が

 

やって来たが、それを無視して歩

 

く野蛮な勇気があった。

 

ふわっとした。堤防の感触が足に

 

なくなって体が吸い込まれるのが

 

わかり、落ちたのではと思って、眼

 

を開くともうドッブーンッという

 

水の感触と、ちらっと見えたのが

 

山の影と月だった。

 

そこから難儀した。堤防を一回り

 

泳ぎ、反対側で階段に着いたが、

 

始めは踊り場になっていて、そこ

 

まで半身を押し上げて、坐らねば

 

ならなかった。ところが、そこは

 

フジツボなどの踊り場に貼り着い

 

た貝が割れていて、手を当てると

 

痛いし、切れてしまうこと必定だ

 

った。なんとか衣服を脱いで手に

 

巻いたりして、上がったが、5分

 

くらいかかったか。

 

 

その次の日のチャレンジでは眼を

 

閉じるとすぐに恐怖が来た。落ち

 

た時は52歩くらい歩いたが、その

 

経験があるにもかかわらず、20歩

 

も進むと怖くて進めない。本当に

 

怖いと体が凍りついて進めないの

 

だと体験した、初めてだった。

 

真っ暗で、この先に堤防の石畳が

 

あるのが信じられなかった。ある

 

とわかっているのに、確実なのに

 

足は動かない。それであと10歩

 

だったら、50歩よりずっと前だか

 

ら落ちない、大丈夫だ、それを

 

歩いたらやめよう、と自分を説得

 

して、思い切りの蛮勇を奮って

 

10歩歩いた。それが恐怖する者の

 

立場と気持ちの環境を初めて知った

 

時だった。僕らは恐怖にかられると

 

足元の岩盤さえ信じられない。頭で

 

知っているというのは、ただわかっ

 

ているつもりなのだという見本だ。

 

 

悪ガキは戦争をする。天真爛漫な

 

子供は反対に平和に遊ぶだろう。

 

多くの子供時代はその天真爛漫な

 

平和に過ごす機会を与えられている。

 

僕はそれを残して育った。その子供

 

を大人は知らずに恐怖に陥れる。

 

恐怖の芯には人類から人間になり、

 

男女や資産の格差を生む文明文化

 

の流れを同伴するようになった

 

ことで僕らは現代の局面を迎えて

 

いる。これは文明文化を手放せば

 

いいという間違えた意味での問題

 

ではない。

 

強いて言えば、そう考えることの

 

わかったつもりの危うさを扱った

 

問題だろう。

 

 

その問題とは:::

 

僕らが社会の誕生から長い年代を

 

かけて押し付けられた制度や習慣、

 

それが法律になり家庭のしつけに

 

なり、学校教育と共に心に底辺か

 

らの暗示に沈んで、自分の原点に

 

なっているといった点だ。

 

そのほとんど遺伝と言っていい呪縛

 

の暗示からはひとりでは離れられ

 

ない。それは表向きでも僕らの善意

 

や幸せへの希求に寄り添うように

 

作られ、考えられているからだ。

 

それがありのままと僕らは区別が

 

つけられないことで、それがその

 

ままその認識を僕らが受け入れに

 

くくなっているのを示している。

 

僕らは何も間違ったことをしてい

 

ないと思いながら、理不尽な現実

 

を或る日突き付けられることがある。

 

それが不幸な少数の運命だが、少数

 

なので社会に定着するように教え

 

られ、僕らに知らされ、全体に広ま

 

る知識にはならない。

 

だから、民主主義とか言っても、

 

それなりになんにでも解釈される

 

民主主義という言葉があるだけで、

 

そこに絶対の制度はない。同じ

 

ように資本主義も同じことで、

 

解釈するだけの人の、組織の、

 

国の資本主義があるだけで、

 

実際には金融資本に支配された

 

西洋世界の半分以上、東洋世界

 

の半分以下がその支配下の政党・

 

企業・官僚などの利権が主体に

 

なっているため、儲け主義と資本

 

主義とを区別できず、また区別

 

していない。

 

社会批判や戦争批判は楽なことだ。

 

そういう事例は多すぎるほどある

 

から、どこからでもいくつでも

 

探せば出て来る。しかし、その実態

 

は微妙にプロパガンダ(宣伝・意趣

 

広告)とマスコミを会社ごとに大株主

 

などになることで重要なことは市民・

 

国民に伝えないでいる。または歪曲

 

して伝えている。

 

 

僕らは基本、見たくない自己を隠し

 

ているから、同じようにその隠され

 

た意図を向き合って見ようという人

 

は少数だ。僕らは不安を抱えるより

 

は嘘の安心でも構わないと言うのが

 

本音だ。

 

その欺瞞の歴史も伝統も長く続いて、

 

向き合うことさえ難しくなっている。

 

一つ二つではすぐに世間という、

 

自分自身、僕らの全体の壁の大きさ

 

にめげて、諦めてしまうのが落ちだ。

 

そうなる根底の要素は何か?

 

それがこれまで書いてきた、恐怖と

 

いう、その発生の動機なのだ。周囲

 

から疎外される、仲間外れ、または

 

まともな人間じゃないと、という

 

非難を(自分でも)創作する。これ

 

をどこかで克服しない限り、僕ら

 

はこれからも何千年でも現実に向き

 

合わない。

 

方法はできることをできる限りで、

 

すぐにスーパーマンになれるわけ

 

ではないし、誰もが超人になる

 

必要もない。

 

自分を他人に任せないとは、どう

 

いうことかがわかればあとは生活

 

の流れに沿って、いかにして生きる

 

かを常に意識して進めばいいだろう。

 

自己革命なども必要ない、ただ自分

 

を変えたいと思うはずだ。

 

革命は無理をして自分も他人もダメ

 

にしてしまう解決法だ。少しずつ

 

変えるという改革案で十分だ。

 

いつの間にか、自分が変わる、世界

 

が変わる、というくらいの慎重さで。

 

 

 

世界は大きい。

 

小さい自分の世界を変えたいと思う

 

ことが大事だ。