よく見えない。それが主題である。

 

それだけがわかるようにわかる。

 

今まではジャングルの中の曖昧さ

 

に彷徨(さまよ)っていたと考え

 

ていたが、どうもそれはどの立ち

 

位置にもある錯覚だったようだ。

 

どの位置でもあるのだから、その

 

位置を決めることによるズレの

 

錯覚に過ぎない。

 

それに気づける位置にまだいると

 

いうことなのだが、そういう俯瞰が

 

得られたのには理由がある。意識が

 

飛んでそれは五感を失うことなく、

 

見えたので、浮かんだイメージが

 

言葉にできないことに驚いたのだ。

 

1分もない、15秒からそれにプラス

 

があるかないかくらいだったが、

 

失語症に陥って、見ているものを

 

言葉で捉えられずに、空中を手探り

 

でさ迷うような有様だった。

 

喋っているうちにそれが起きて、

 

言葉を捉えられないので喋れない、

 

それが短い時間に起こったという

 

ことだ。

 

言葉にする段階の意識は実際に

 

現実にあって、なければならない

 

から、その時はこちら側から反対

 

の無意識側を測定、観察をしてい

 

るということなのだが、その自分

 

の立ち位置が崩れた瞬間だったと

 

いうことでもある。崩れたお陰で

 

ズレたので、別な視点に移ったの

 

で、今までの位置を確認できた訳

 

だ。

 

そしてわかったのは、その位置で

 

はもう限界が来ていることだった。

 

諦観はそこにも諦観があるのだが、

 

それは清らかで落ち着いた諦観では

 

なく、どん詰まりの諦観だから、

 

ほんとうに諦めるだけになってし

 

まう。それはどん詰まりが存在しな

 

い因果の性質上、できない相談だっ

 

た。これまでのように限界が来る

 

ことで初めて突破できるのがこの世

 

と異世界とのシステムであるから

 

そこで一歩踏み出す必要がある。

 

それがこれまで現実と夢とを余裕で

 

俯瞰できる場所からもう少し深みに

 

はまってしまう必要が生じたという

 

意味である。それがわかっている人

 

は初めから人生をそこに集中して、

 

結婚したり、多方面に手を出したり

 

しない。終わりがないことを無意識

 

にでも知っているから、それだけを

 

する。むしろ、やってもやっても

 

尽きないことなのだから、それが

 

当たり前のことになっている。

 

彼らは人生の選択に贅沢は許され

 

ないと思っている。実際にその人

 

の仕事は終わらないからだ。

 

僕の位置では限界が見えたのだろう。

 

無意識との距離を縮めてきた傾向

 

があったが、それは気力・体力の

 

問題もあったが、それをまるで遠ざ

 

かるかのように、もっと縮めて深遠

 

な現実のジャングルに入りなさい、

 

ということなのだろうと推察する。

 

これまでは近づき過ぎると全体が

 

見えなくなるので避けてきたと

 

思われるが、そうも余裕をこいて

 

いられなくなった、と、そういう

 

ことらしい。

 

 

TV録画で松本幸四郎主演の新・

 

鬼平犯科帳を観たが、初めに江戸

 

の風景にぐいぐい引き込まれる

 

のに驚いたし、武家屋敷の白壁まで

 

その皮膚感あったのを異常にも

 

思った。

 

時代劇を現実にも感じるように

 

なったのかな、と古さの回顧に

 

なったのか、と考えたが、ストー

 

リーを追ううちに結末の暗い色彩

 

が見えてしまって、その考えの

 

古さに退屈してしまった。

 

そこからは早送りしながら観たが、

 

予想通りで、また、作者の池波

 

正太郎の私生活を自身が書いた

 

ものを少し読んだことがあるので、

 

殊更、その料理の蘊蓄のような

 

ことが画面に演出されるのも

 

嫌気を誘った。

 

作者は江戸時代の武士の生活に近い

 

生活を実際にしているので、ある

 

意味水戸黄門の悪代官と「この印籠

 

が見えぬか」というように決まった

 

パターンに落ちるように見えた。

 

 

それでも、だ、(ドラマだからそこ

 

に経過描写の不足による若干の不

 

自然な演出があったにしても、だ、)

 

それが正しい森羅万象の人生の一

 

部の写し取りだというのは否定

 

できないことだった。

 

そしてそれが、今そう思うことが

 

避けられない状況に自分がある、

 

ということも十分に感じられ、

 

反省したい気にさせられたのだ。

 

昨日に’不認知な状態に陥ったこと’

 

と’古さに留まれない、脳だけに

 

収まらないこと’へ生命の芯は自己

 

満足を嫌うのを再度・再々度・・・

 

確認したような次第である。

 

 

つまりは蒐集した五千冊以上の本

 

の行方が納得できるような気に

 

なったのでもあるようだ。そう

 

諦観すると、これまでの不自由・

 

不便さに方向が促されるのを

 

嫌ってきたが、それを認める時が

 

来たのかな、と考えもする。要は

 

勉強しなさい、ということで別に

 

今までの方針と気持ちが変って、

 

本をじっくり読んで楽しみなさい

 

と言うのではない。本をデタラメ

 

に斜め読みでも速読の頁ペラペラ

 

でいいから中身の中心となる30%

 

を情報吸収して、この世に深入り

 

しようというのだろう。

 

もう変化・進化する部分は除いて、

 

また体の退化や心の拡張は実際に

 

は手に負える事柄ではない。生活

 

上、なるようになるし、また必ず

 

しなければならないからことでも

 

あるのでしているだけのことだ。

 

 

ものへの探求が個人的に残されて

 

いる気分があるが、ものは言葉の

 

領域外にあるので、それを書き尽く

 

したいという欲求はふつうに生まれ

 

ない。誰にでも限定されて、できな

 

い事柄だからだ。

 

今は知的欲求が戻って来てしまって

 

いるので、本の内容の想像・イメー

 

ジが魑魅魍魎のように頭に蠢いて

 

いる。これからするのは子供の昆虫

 

採集にも例えられることかもしれ

 

ない。

 

春霞、 は過ぎ 

 

夏来るらし、の 

 

羽衣の  輝く陽射し

 

熱中症の 

 

来らんか 

 

国道246は 救急車の通り道

 

なので、あまり歓迎できない。

 

そう言えば、ここに27年住んだが、

 

以前に住んだアパートは真ん前が

 

消防署だった。夜中でもいきなり

 

サイレンが鳴って、出動した。

 

一番の騒音で思い出すのは子供の

 

頃で新宿に近い中野坂上の地下鉄

 

の駅の工事だった。あの頃は公共

 

工事は国家権力のように無言の

 

圧力があり、工事の騒音に文句を

 

言う商店の店主や住民はいなかっ

 

た。明けても暮れてもこのことで、

 

技術的なこともあったのだろう、

 

その騒音は夜中でもお構いなしで、

 

それが3年続いた。一度工事中の

 

穴に忍び込んだことがあり、そこが

 

広いスペースだったのに驚いた。

 

向こうに丸いトンネルの穴が、こち

 

らにもあり、その間が3,4階建て

 

のビルが入りそうだった。そこは

 

地下鉄の駅・構内を導入する空間

 

だったのだろう。これは騒音も仕方

 

ないな、と変に感心して、納得し

 

たのを子供ながらに覚えている。

 

 

これからのAIの進化や拡張を想う

 

と、その社会変貌が想像されて、

 

なるほど時代や年月の違いという

 

ものを目の前に感じさせる。

 

改めて、初めて自分が時代を生き

 

てきた人間だと知る、半分の感慨

 

と、残りを生きる自分(自分は今を

 

生きている)ではなく、子供とい

 

う別な自分たちになぜか悲しみを

 

覚える。僕らはこの悲しみをくり

 

返している。その光景が当たり前

 

に同じ歴史・同じ情景のように

 

見える。

 

 

この世はあっけらかんとして、

 

社会の絡んだ残酷であり、自然に

 

寄り添う幸福という万華鏡を散り

 

ばめた混浴の温泉郷のようだ。

 

ただそれぞれの人、人々の主張や

 

楽しみがバラバラでしかもその

 

互いが議論しても土台の違いから

 

噛み合わないことが多いようだ。

 

これって、いままでの長い無駄な、

 

また有効さの少なかった選択(つま

 

り、因果そのもの)のことを言っ

 

ているだけだと、我ながら思う。

 

 

雨が小降りになったようだ。雨の

 

音はしない。軒から垂れる水滴や

 

タイヤが水たまりを撥ねる音だ。

 

雨は音もなく降るのだ。理屈めい

 

ているが、僕らは雨音を聞いてい

 

ないし、聴こえるのは雨を吹き

 

飛ばす強い風の音だ。

 

雨音は透明のようだ。言葉はそれ

 

を実態であるかのように脳にイン

 

プットさせることもある。錯覚や

 

誤解はどこにでもありそうだ。

 

 

雨は 透明な音 

 

音との関係性が  透明な

 

雨は 空からの 

 

訪問者で  彷徨する 命