僕は壊れたと言いながら 

 

宇宙をさ迷う宇宙船のように

 

正体のはっきりしない幽霊だ

 

名前だけはつけられたが

 

それがどんな意味があるものか 

 

わかったわけではない。 

 

ものごとを理解すると言いながら

 

それは奥深い迷いに迷い込む

 

ということであり また 

 

この世の実態という不可測な

 

混迷に心が染められるという

 

事であり続ける。 

 

健全さに照らしては

 

そこに有意義な理由があると

 

いう意味は感じられない。 

 

それが単に負けた、という

 

ことであれば 立派な理由に

 

なるものでもありそうだが

 

そういう単純な事実はない。。

 

 

どんなにあらゆる鏡をうまい

 

位置に調整したとしても

 

いつかはその1枚が壊れたりする。

 

すると整ったつもりの世界が

 

バラバラに崩壊するのを目の当たり

 

にする それで終わりなら

 

話は早くていいのだが

 

この世界の奥深さはそこで

 

終わりにはならずに

 

新しく復旧してしまうことが

 

度重なるという点だ 

 

混迷というのはそこから思うに

 

煮詰まった状態で

 

あとは蒸発するか弾けるか

 

いずれにしても終わりはない

 

これまでの混迷は後ろ向きの

 

世界になって去り行く

 

その切り替えに僕らは永遠という

 

イメージを想像せざるを得ない

 

というわけで 

 

それが無限をいくつも重ねる

 

そういうくり返しの永遠世界を

 

想像してしまう

 

そうしてしまうことこそが僕らが

 

永遠を理解しがたいという

 

事実を説明して余りあるのだ

 

比較しかできない哀れな僕らは

 

僕ら自身の小ささをたまねぎを

 

刻みながら流す涙さながらになる

 

それはそう感じないとわからない

 

そうではないか

 

永遠は小さくないから

 

途方もなく大きいからこそ 

 

とんでもないからこそ 

 

その場所に立って(経験)

 

初めて その小ささも認識できる

 

といったもの

 

そうして永遠に憑りつかれることが

 

どれほどのことなのかに思い当たる

 

という

 

切りがないからやりきれない

 

宇宙の年齢なんて決めればいい

 

もので正確である必要もない

 

それはいつまで経っても

 

なにを乗り越えても果てしなく

 

中継点でしかないし 

 

永遠の中継点だからだ

 

それが果てしなさの性格だ

 

今は どこにあるか 

 

まさに そこにある 

 

今は そこに立って 

 

初めて発見するものだ

 

だから 今を書く人はいない 

 

できないから 

 

その中継点を瞬間に追い続ける

 

そこから昇華してしまう

 

そういうジャンプはなぜ起こるのか

 

僕らはどうやっても 

 

その彼の心を感じることは

 

できないのが通常だ 

 

でもどこかで伝わっていなければ

 

僕も書くことはできなかっただろう

 

だからこの世にも物質的に

 

デジタルでもアナログでも

 

伝えられなくても

 

別な未知の感性がコツとか奥義とかで

 

ヒヨコのオスメスを見極めるのだろう

 

教えを求められないから

 

教えが来るのを日常の活動の中で

 

待っているのだろうね、知らずに。

 

それは来てからわかるもので

 

求めたから与えられるものではない

 

のだろうがなんらかのことで

 

僕らは求めているんだ

 

そしていつまでもそれを書いた

 

言葉の意味を求めてしまうんだろう

 

 

こうして書いてきて自分が

 

言葉の意味を越えてしまうものを

 

見てきたことを言っているように

 

思うのだが

 

それは歴史に取り込まれない

 

暗号のように記録はされるだろうが

 

鳥の足跡のように幾何学的で

 

その模様が空を飛ぶ翼の抑揚を

 

想像はさせないだろう

 

こうして僕らは何を見たのか

 

本人もそれがわかったつもりに

 

なるだけで 

 

別な有り様が見えないし

 

想像もしない

 

僕らにはこの追いかけっこが

 

終わらないことが見えない

 

まだ28億年しか経っていないから

 

それの何兆倍 何京倍も

 

二倍三倍も同じなのだ

 

だから 今が永遠であり得るという

 

式やパターンが成り立つ 

 

見えないけどね

 

 

この世で怖いものは山盛り 

 

でもそこには怖いものはなにもない

 

僕らの心がそれを測れるから

 

それは僕らの認める処になる

 

それが測れないのなら 

 

それはほとんど大き過ぎるから

 

遠すぎるから 

 

僕らの叡智を越えるから

 

そうでないものは

 

僕らの叡智に収まる

 

だからそれには何の価値もない

 

買えもしないし飾れもしない

 

流木や奇岩などの自然の

 

芸術ではない

 

そして なのに人の一生を

 

一瞬で決めてしまう

 

理由を知ることもできずに

 

それが それだ 

 

 

僕らの体には数万の素粒子が

 

毎日透過しているらしいが

 

それに気づく人はいない

 

見えないが物質の一種には

 

違いないらしい

 

0.00005mg/体重1㎏でも

 

致死量のマイトトキシンという

 

毒がある (まったく見えない)

 

 

心では叡智の外のものが

 

無数に飛び交っているのかも

 

しれないと 夢想する

 

夜は 広がる 

 

夢よりも はるかに広く 

 

僕らの心を 置いて 

 

はるかに 深く

 

僕らは  深海の暗さで

 

小さな灯りをともした

 

深海魚と同類かもしれない 

 

犬や猫とか クジラやイルカが

 

見ている人間を

 

僕らは知らない

 

海は知っているだろう

 

山も 知っているかもしれない

 

蚊は?

 

たぶん 知らないだろう 笑

 

 

相手が大き過ぎて 

 

認識からはみ出して

 

僕らは感動できない

 

それだから恐怖さえ 感じる

 

ことができない 

 

大き過ぎるということが  

 

僕らがいくつもの心の限界を

 

抱えていることを示唆する

 

叡智には まるで 

 

謙虚さしか 残されていないようだ 

 

汝自身を知れ というのは 

 

謙虚になれというように 

 

聴こえる日が来るのだろうか

 

 

 

君も 

 

砂漠を 歩いているのだろうか

 

広大な 夜の光景という

 

それなら 

 

寂しさも  悲しみも

 

苦しみさえ  

 

楽しめているだろう

 

近づいて 向かえても

 

それを 

 

なにかに  変えるだろうから

 

 

そうでなくても 

 

気づける  音楽や ニュース

 

戦争や結婚  子供や詐欺師

 

盆栽やダイオキシン  愛や邪教

 

コロッケや癌  貧乏や傲慢

 

この世は それほど 

 

悪くはないと

 

素晴らしいと 

 

 

何が必要だったかなんて 

 

最期にならないと 

 

わからない 

 

最期まで ともかく 

 

生きてみないと