子供の頃は読書が好きで、本が好き

 

だとは気づいていなかった。

 

ともかくよく歩く子で、中野区の

 

中野坂上(地下鉄丸ノ内線に駅がある)

 

に住んでいたが、隣は新宿区で子供

 

でも歩いて行ける処だった。

 

西新宿の十二社通りに当時は温泉が

 

あって、母親に連れられ、歩いて

 

通った。1,5・6kmはあったから

 

歩いて20分くらいか。完全に湯冷め

 

しただろう距離だが、母親は耳学問

 

で健康にいいと聞いた温泉や健康器具

 

などを片っ端から利用する癖があった。

 

また飽きるのも早く、続いた試しも

 

なかったと記憶している。

 

子供心には30分も歩いた気がするが、

 

意外に近くだった。出かけるの楽しみ

 

だったから、苦にはならなかった。

 

その途中で確か、古本屋があった気が

 

する。そこで漫画を立ち読みしたり、

 

時には買ってもらえたりするのが、

 

また楽しみだった。それは貸本屋時代

 

の漫画で白土三平が忍者漫画でデビュー

 

した頃の漫画である。

 

 

手塚治虫の漫画も読んだが、憧れは

 

白土三平の忍者で、釘を針金で十字に

 

縛って、忍者手裏剣を作ったりした。

 

読書は江戸川乱歩の、それは推理小説

 

の分野を生んだ、エドガー・アラン・

 

ポーという天才の名前を捩ったものだ

 

というのはまだ子供で、知らなかった。

 

少年探偵団は子供の間で流行って、

 

何人かのグループで街に出て、事件

 

を探すという、まさに子供じみた

 

遊びが、まじめに行われていた時代

 

だった。それで少年探偵団シリーズと

 

探偵明智小五郎シリーズは欠かさず、

 

読んだ。

 

そして、正義の探偵と同じくらい

 

憧憬したのが、怪人二十面相の怪盗

 

だった。それで今でもたまに明智

 

小五郎のドラマをTVでやると、まず

 

観ている。子供に変身させられた

 

高校生のコナン探偵に出て来る、

 

また別シリーズの主人公でもある

 

怪盗キッドは怪人二十面相の別

 

パターンで、その後継者でもある。

 

 

中学生の時にドストエフスキーの

 

「罪と罰」を読み切って、わから

 

ないながらも、読み切らせた力を

 

「罪と罰」の心理描写に感じて、

 

読書の不思議な感じを最初に

 

覚えた気がしている。

 

それからいろいろと読書遍歴が

 

進んだが、世界解釈があまりに

 

いつも簡単にできてしまうので、

 

不満に思っていたが、(楽に

 

わかってしまうことには興味が

 

なかった)大学の初年で小林秀雄

 

に出会って、「もの」という概念

 

解釈を許さない芸術と感覚の衝突、

 

または出会いを感じて、通学の

 

電車で涙がにじみ出るのを覚えた。

 

概念世界ではない、解釈を超える

 

世界をうすら感じ取ったからだろう。

 

それから美術展巡りが始まり、J・

 

クリシュナムルティへとつながる。

 

 

最近その飽きた、クリシュナムル

 

ティの本に出会って、やはり彼から

 

学んだ道を歩いているのを知らさ

 

れた。クリシュナムルティはなにも

 

直接教えない。小林も直接はなにも

 

教えない。教養的なことは少しも

 

ない。知識ではないからだ。

 

小林は非常な努力で見る経験を

 

重ねて、絵画の批評眼に至って

 

いる。

 

クリシュナムルティは瞑想から

 

自己を脱脚した世界からこの世を

 

見ることをして、客観を掴み取っ

 

た。どちらも努力からと直観から

 

との違いがあるだけで、ものの

 

あり方に見参するための、知力

 

からではない、考えないが、高度

 

な知性からの発揚を示している。

 

僕は見ることのきっかけを小林か

 

ら学び、瞑想をするとはどういう

 

ことかをクリシュナムルティから

 

学んだ。

 

この二人からの学びはそれぞれの

 

人間の到達であって、人真似では

 

ない。それは個人という人間が

 

誰か他の個人という人間を凌駕

 

するのは不可能だということを

 

教える。いつも凌駕されてしまう

 

のは社会教育によって得た知識や

 

世間の教養で鎧のように人生訓

 

で固めた社会オタク人間である。

 

もっとも自分では、そう思ってい

 

ないのであるが、・・。

 

単的にそれはクリシュナムルティ

 

本人の言葉で語ってもらおう::

 

 

「ー重要なのは、誰かについて

 

いくことではなく、自分自身を

 

理解することです。あなたが努力

 

も恐怖もなく、いかなる意味での

 

制約もなく自分のなかに入って

 

いき、本当に奥深くまで調べて

 

いけば、驚くべきものを見いだす

 

でしょう。おまけに一冊の本も

 

読む必要がありません。講演者

 

(私=クリシュナムルティ)は、

 

これらに関する本、たとえば、

 

哲学書や、心理学の本や、聖典を

 

一度も読んだことがありません。

 

(これは事実らしい。クリシュナ

 

ムルティは神智学会に自我のない

 

子供として発見され、引き取られ、

 

ロンドンに留学させられ、英語

 

しか喋れなくなった。

 

そして、青年の頃に1万人くらいの

 

クリシュナムルティ信仰の学会の

 

支部?を任されるが、なんと彼は

 

信仰は教団でするものではなく、

 

個人でするものだとの信念のもと

 

に、クリシュナムルティ教団を

 

解散してしまう。その後、残った

 

小グループと過ごし、小さな学校

 

を建てたりする。そして、例えば、

 

アインシュタインと研究もして

 

いた理論物理学者のデヴィッド・

 

ボームとも対話して、それが一冊

 

の本になっている=「時間の終焉」

 

500頁)」

 

続けて、::

 

「自分自身のなかに世界全体がある

 

のです。そして、それをどう見る

 

のか、どう学び取るのかを知れば、

 

扉はそこにあり、その鍵はあなた

 

の手の中にあります。この世の誰

 

一人として、あなたにその鍵や、

 

開けるための扉を与えてくれる人

 

はいません。あなた自身をのぞい

 

てはーー。 」(「スタンフォード

 

の人生観が変わる特別講義」から)

 

 

スタンフォード大学の講義録である

 

この本が翻訳出版されたのは2013年。

 

僕がクリシュナムルティへの理解に

 

夢中になっていたのは、平成元年

 

(1989)の頃、もう35年も前の話

 

だ。この講義録のことは知らずに

 

過ごした還暦以降は独自に世界を

 

伝えようとしていた頃で、まだ

 

ブログも始めていなかった。

 

この8,9年のブログで一貫して

 

いるテーマの根幹の一つだから、

 

クリシュナムルティの言っている

 

ことと同じだとよくわかる。

 

同じことを言おうとして、それ

 

ぞれ異なった書き方をしている。

 

僕にはよく一本の道を歩いたも

 

のだと感慨する。

 

小林には小林の道が、クリシュ

 

ナムルティにはクリシュナムル

 

ティの道が、それぞれ個性に上に

 

ある。相手の意見を尊重するとか

 

いう遠慮・忖度はまるでない。

 

ただ歩いたらこうなっただけだ。

 

この自己の道は個性を殺さない。

 

その必要がないから。

 

個性が叩かれるのは、精神の所有

 

する概念(思想)による主張が

 

相手の思想に競合するからであり、

 

物質を所有しようとする競合が

 

実際の現実で金力や権力、利権

 

というパイ獲得への主張で争いを

 

起こす。個性はそれに巻き込ま

 

れる。

 

ここにある世界を理解するために

 

僕らは個性を抑え込む必要は

 

まったくないのだ。自分の人生を

 

知ろうとする時、人が人生をどう

 

考えようとまったく関係ないこと

 

を学んだ。

 

本は好きだ。見ていると夢がある。

 

それは楽しむためにある。あるいは

 

百科事典並みに引用など、知識を

 

眺めるにある、または何かを動かし、

 

その具体的な方法をマニュアルとし

 

て知るにある。

 

本はほとんど自分の人生とは無関係

 

にある。外国語を学ぶ・資格を取る

 

などの仕事で必要な時に参考にする

 

知識としてある。

 

小林は本の頁の間に煙草の吸殻など

 

平気で捨てたらしいが、僕の本好き

 

はそれをしない。それどころか、

 

綺麗な本にするのを試みることが

 

ある。例えば、カント哲学の解説

 

のためにスェデンボルグを読むの

 

だが、本が厚いので3分割する、と

 

いうことをする。3冊に切り分けて

 

しまい、それを軽く製本する。

 

これがその元本::

 

 

中身を抜くと、こうなる ::

 

 

そして、百均で適当な表紙を探して、

 

クリアホルダーに入れて、表と裏の

 

表紙にする。こういう作業は手馴れて

 

いる。そして、出来上がる::

 

 

3冊である、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ ::

 

 

これで軽い1冊を持って歩けるので

 

便利だ。本という形、また本という

 

装丁の型が好きでなければ、ここ

 

まではしないだろう。

 

クリシュナムルティは機械の分解が

 

得意で、腕時計などは全部分解する。

 

部品は200くらいになるのだろうが、

 

それを元通りにしてしまうそうだ。

 

記憶力がいいのだろう。それも

 

個性かも。