なにか書けそうだと思っていたが、

 

疲労感があって集中に欠けそう

 

なので、控えてTVを観ていた。

 

つまらない。時間つぶしだから、

 

仕方ないと思いつつも、意外に

 

リアルな現実の方を感じていた。

 

体の炎症を抑えるため、その薬を

 

飲んでみる。薬はよく効く体質

 

なので、時には自分をコントロール

 

するのに使用する時もある。

 

 

人間は知性が特化している。動物

 

はその名のように動く生物だ。

 

植物は動かないと言われる。

 

それは足元のことで、自身はよく

 

動いて、右に左に風がなくても

 

揺らぐ。植物が根を張るのは、

 

そうしなくてはならなかった

 

からだろう。高温の水にはそれ

 

に耐性のある微生物や細菌・ウィ

 

ルスがいた。この細菌類が水辺

 

に根を張る、その根を高温から

 

守り役目を果たしたらしい。

 

そして、奇跡的なことは植物は

 

光合成を行って、太陽から、

 

つまり地球外からエネルギーを

 

取り込む必要を知っていたことだ。

 

そして、種子を作り、それを遠く

 

へ飛ばすための進化をくり返し、

 

その間に生まれた昆虫を介在して

 

受粉したり、種子を遠くへ運んで

 

もらうなどの知恵を働かした。

 

そして、その頃にはもう地上が現れ、

 

そこに進出していたから、種子は

 

そこに根を張るという地球全体への

 

壮大な事業を始めたのだ。

 

植物が根を張るという選択を続け

 

なければ、地上は岩だらけで養分に

 

乏しく、動物もまだ誕生してい

 

なかったかもしれない。風や紫外線

 

で根を張らない植物は枯れてしまっ

 

ただろう、早いうちに。

 

そして、微生物の死骸や昆虫の死骸、

 

植物の枯れたもの、岩の削れたもの

 

とで長い、長い間に石と土が形成

 

されたという。それは見えない。

 

2,3㎝の厚さの土は積み重なるのに

 

400年という年月を必要とするら

 

しい。

 

アメリカのインディアンや他にも

 

どこかの原住民は食べ物がなく

 

なると、土を食うらしい。また馬

 

のケガにも土を塗るらしい。薬の

 

代わりだろう。

 

僕らの先祖は土を焼いて、堅い器

 

ができるのを発見している。土器

 

だ。弥生時代のものか?須恵器と

 

呼んでいる。

 

素焼きしたものは細かい穴が多く

 

て、そこから中の水が蒸発するので、

 

気化熱が奪われて、水はひんやりを

 

保つ。土の壁の洞窟は天然の冷蔵庫

 

の役目をして、一年中温度変化が

 

少ない。

 

樹木で建築すると、組立工法を使う

 

と日照りで材が乾燥して、雨で湿り

 

材が伸びたり縮んだりするので、釘

 

を使わず、釘のサビから寿命を縮め

 

ることもない。千年で育った木材は

 

千年以上保つらしい。まだ文明は

 

そこに近づいているが、達成はして

 

いない。

 

この植物にそれから魚や動物・昆虫

 

を育てる栄養に自身が成るという

 

発想があっただろうか?

 

あったとしたら、不思議だし、まず

 

信じられない。根を張って自己増殖

 

を測ったのはわかるが、その次の

 

計画はなかっただろう。が、植物

 

という土台がなければ、次に繁殖

 

するものというきっかっけもなかっ

 

ただろう。

 

自然は成ってから、その場で考え、

 

その場で決めてゆく。そこに適応

 

したものが広がったのであって、

 

初めに計画や繁殖の地図があった

 

わけではない。多くの絶滅種が

 

あった。全部、試しながら生き

 

残ったというのが正しい。

 

だから、地球に生物が繁殖した

 

奇跡の星だというのは、まるで

 

成功するために地球が太陽から

 

ちょうどいい距離とか定まった

 

ように言うのは、正しくない。

 

なるようになるべくしてなった

 

ので、成功とはとても言えない。

 

霊長類の人間だけで30種近く絶滅

 

している。

 

人間・ホモサピエンスは運がよかっ

 

た。

 

人間の近くはゴリラなどの霊長類

 

だろうが、ゴリラやオランウータン、

 

チンパンジーは見ていると人間に

 

見える。動物園で観光気分で見ても、

 

それは動物図鑑を見るよりもゴリラ

 

の躍動感などがあり、その時はやや

 

実感が得られるが、家に帰るまでに

 

忘れてしまう。

 

よく見ていると、彼らも人間だと

 

わかる。そして、僕らは人間では

 

なくて霊長類の一種であって、

 

霊長類人間科というようなものだ

 

と思えて来る。そう思えないのは

 

知性が邪魔して、つまりは知性と

 

双生児のプライドが邪魔するからだ。

 

僕は香港から歩いて、バスや鉄道で

 

最期は船で東南アジアのカリマン

 

タン島のコナキタバルまでの旅を

 

しようとしたが、疲れ切って、

 

目的地まで行けなかった。そこで

 

はオランウータンが保護されていて、

 

森に入ればオランウータンに出会え

 

るはずだった。彼らとコミュニケ

 

できると思っていた。何事も体力が

 

人生を左右する。才能や頭脳では

 

あと一歩が確実に足りない。

 

 

さて、テーマに移ろう。

 

愛はどこまで通じるのか。動物は

 

ともかく、植物まで通じるのだろ

 

うか。水に住む魚になるのはわかる

 

が、昆虫は何からというと、甲殻類

 

かららしい。魚に進化するものと、

 

甲殻類で敵や高温から身を守るため

 

に堅い殻で身を覆ったのだろう。

 

エビ・カニの祖先から地上に出て

 

きた時に昆虫になった。

 

僕はゴキブリで実験をしたことが

 

あった。彼らは3億年も生きている

 

というから、人間を小動物の頃から

 

知っているわけだ。当時は愛の意識

 

を問題にしていたので、ゴキブリに

 

通じるかと本気で考えていた。

 

部屋に入って来たゴキブリを手で

 

捕まえようと、まず相手を決して

 

殺さないことを誓った。本気で

 

ないと意識は変わらない。

 

そうして捕まえても逃がしてやる

 

からと近づくと、彼は逃げなかった。

 

と言うか、逃げ惑うようだった。

 

迷っているのだった。そして、その

 

ままビニ手袋をした手の中に納まっ

 

た。

 

これには驚いた。あの素早く、気味

 

悪く、はしょっこいゴキブリが逃げ

 

なかった!

 

それは当時、愛の感化を思ったもの

 

だが、しばらくして考えが深まった。

 

人間への警戒だけでなく、ゴキブリ

 

には3億年があるから、人間の反応

 

など熟知している。その時唯一学ぶ

 

のは警戒心だろう。その警戒はどこ

 

から来るかと言えば、やはり人間が

 

発する気から来る。

 

その気が、恐ろしいと感じる殺気

 

だろう。人はゴキブリを殺しに行く。

 

だから、この時無意識に僕らは

 

叩く前に殺気を放っている。この気

 

を一瞬捉えて、素早く逃げおおせる、

 

というわけだ。

 

ゴキブリの戸惑いは、この合図が

 

なかったので、逃げるチャンスを

 

失ってしまったのだ。つまり、人間

 

はゴキブリに対して殺気でしか挨拶

 

することはなかったのだ。

 

愛はかなり、過小になるだろうが、

 

大した問題ではないようだ。

 

動物は簡単にしたい。動物の愛と

 

人間の愛には気づける程度に違いが

 

ある。共通の友達感覚も条件次第で

 

育つようだが、それは犬猫の飼育

 

動物であって、野生の動物では

 

頭の良い象でも、10年単位では

 

飼い主との間に事故を起こす。

 

愛は持続に法則じみた条件がある

 

から、動物との間では、誤解で

 

事故るのだろう。ただ、野生でも

 

人間への理解はその種類に拠るの

 

だろうが、特化して人間のある一点

 

については人間以上にわかるらしい。

 

 

植物はどうだろう。僕は補助的には

 

愛のバイブレイションがある種の

 

効果がありそうだと、園芸家の意見

 

などでそう思うが、それは限定的で

 

こちら側の誤解が大きいのではない

 

かとも思う。モーツアルトの音楽を

 

畑で聴かせている農家も実際にいる

 

が、どうだろう。その点がまだ見極め

 

られていないが、・・。

 

サボテンは水をたまにやるだけの

 

厳しい環境で、どういう風に、どれ

 

だけ生き残るかというのが実験の

 

理由になっているが、半分は世話

 

が面倒だからだ。

 

一時、サボテンに話しかけ、愛情ら

 

しきを入れてみるが、そのとげは

 

一向に柔らかくならなかった。

 

成長はその先端に現れる。先端は

 

緑で青々しているが、枯れて来ると、

 

根元から茶色になって、先端は根元

 

より長く青々している。その途中で、

 

幹に子供を多くつける。子供は自分

 

で落ちて、そこから生きようとする

 

が、すでに親の根でいっぱいに広がっ

 

ていて、生き残るのが難しい。

 

植物の活力剤をたまに与えるが、

 

なんにしても土の容量が足らない。

 

鉢に移し替えても、鉢の数が邪魔

 

になるほど多くなるだけなので、

 

静観している。

 

人間の健康に役立っているという

 

生活感覚がサボテンからは感じられ

 

ないので、枯れようが生きようが

 

放っておく、という状態だ。

 

むしろ、植物の薬への効果があると

 

いう、未知の病への効果成分発見に

 

期待した方が正当だろう。

 

今、いくつのサボテンの株がある

 

のかしらないが、十数年前にどこか

 

から拾って来たやや大きめのサボ

 

テンが第一代目で、今ある全部が

 

その一株から派生した子供たちと

 

いうのも、改めて驚きだ。

 

サボテンは一般に生命力が強い。

 

僕らは考えること自体が、それが

 

どれほどの天才やIQであろうと、

 

限定されている枠の中での話で、

 

しかも自然からは別物で隔離し

 

ている。日常ではサボテンを見る

 

ともなく見て、無意識は大いに

 

なにか感じているのかもしれない。

 

 

夜明け前。

 

随分久しぶりで、窓ガラスの真ん中

 

辺りから陽が昇るべく、赤い。

 

ここがほぼ東の位置だ。

 

枯れかかったサボテンの先端は

 

緑ではっきりと東を向いている。

 

太陽エネルギーが栄養なのだろう。

 

人間の朝の活動が始める前に

 

鳥たちの活動も始まるのだろう。

 

公園へ行って、野鳥のエサを

 

チェックしてこよう。