夢を書く。すべてはそこから始まった。

 

夢というのは直接語ではなく、比喩で

 

いい、僕らの書くもの・造るもの・

 

なすものは、どうあがいても冷静でも

 

眉唾物で、夢に類することばかりだ。

 

自分というのは知性の相対面、合わせ

 

鏡のようなものに似る。そして、裏を

 

隠し合う協同作戦を行う。

 

現実は重く、一筋縄では括れないし、

 

変化も速いし、時代も早い。

 

僕らが夢を間接的に叶えられても、

 

そのままで現実に変えたことはない。

 

あればそれは元から現実にあった

 

ものだ。夢は代替品という現実の

 

姿になるだけ。

 

 

雑用を終えて帰って来たが、途中で

 

風邪薬を飲んだら、やたら眠い。

 

そんなに疲れている?忘れかけた

 

ものも短時間に思い直して思い出せ

 

たので、記憶も平常、だが、眠い。

 

 

今夜は満月。狼男は眠くなるのか?

 

吸血鬼は病気の人で欧州の中世には

 

居たそうなので、吸血鬼村はあった

 

かもしれない。

 

が、狼男村はないだろう。生まれた

 

子が男はそのままだが、女の子は

 

狼女にならなかっただろう、聞いた

 

こともない。

 

狼男やフランケンシュタインは

 

創作だが、吸血鬼は永遠の命、

 

狼男は野獣への退化・怒りの

 

正当性、フランケンシュタインは

 

命のないものから生命を創造する

 

ことで、それぞれ僕らの夢の一部

 

を語っている。それらは、しかし、

 

神の御業を模していると意識した

 

だろう。

 

その罰も無意識にあるだろう、吸血

 

鬼は昼間の自由を失い、狼男は野生

 

の悪化という宿命から逃げられず、

 

フランケンシュタインはまともな

 

人間に見られない、とそれぞれが

 

まともな人間としての権利・人間性

 

を犠牲にしている。彼らは悲劇の

 

主人公だ。

 

そこには自分と知性が手と手を

 

携えて、自分(エゴ)と知性(抽象)

 

の申し子であるプライドをかけて

 

追及した悲劇が元であるという秘密

 

がちらちら垣間見える気がする。

 

例えば、ただ自然分解しない人工素

 

材を作ってもそれだけでは意味がない。

 

それが建築物や何かしらの文明を構築

 

するインフラにならなければ、・・・

 

・・

 

萬里の長城は1600㎞に及ぶ世界遺産

 

だが、400年かけて最初に完成し、

 

1800年経った現在は崩壊しかけて

 

いる。それは風化やゴビ砂漠による

 

侵蝕などだけではない。地元民がその

 

煉瓦を観光用に売ったり、家の補修

 

材に持ち出したりで、3分の1が消失

 

したとされる。

 

最近やっと持ち出し禁止の法律で

 

7年の刑と定められたが、13億人の

 

中国では役立たずの壁の保護などは

 

無駄と考える人が多く、地元では

 

萬里の長城だと知らない人もいる。

 

 

それにしても長城は自然の加工素材

 

を使用しており、人工物で造られた

 

ものではない。人工ならペットボト

 

ルが分解するのにかかる時間は400年

 

だそうだ。高層ビルでは50年くらい

 

で補修や修理・刷新をしていかない

 

と倒れてしまう。

 

どうやら人工物の寿命は見えている。

 

物質は眼に見えるからわかりやすい

 

が、精神も知性の構築物の一面が

 

ある。古典と呼ばれるもので、これ

 

も医術や科学的部門では、科学が

 

登場してからはその技術には一部を


除いて到底及ばなくなった。

 

残ったのは宗教や哲学・文学・社会

 

科学だろうか。

 

これらの人類の営為が崩されたならば、

 

それは人のプライドの崩壊となる

 

だろう。だから、それを認めることは

 

まずないだろう。1000年かけて

 

できた習慣は1000年続くだろう。

 

崩壊にも1000年かかるだろう。

 

それが3000年なら、4000年

 

なら、それぞれの年月が必要となる

 

のではないか。

 

僕らはそれを内心で拒否している。

 

最後の最後まで拒否して、否定し

 

続けるつもりだろう。

 

そして、そんな、例えば、500m

 

もの津波は来ない。そんなものについ

 

て、その先まで考えるのはばかげて

 

いて、無駄なことだと考える。

 

 

僕がこういう提示を敢えて、敢えて

 

でもないが、掲げるにはその前提が

 

ある。その前提になる問いがあるか

 

らである。それはまだ姿を現しては

 

いない。現わしていても、僕の視界

 

には入ってきていないだけかもしれ

 

ない。それを問おうとするだけの

 

十分に、見えはしないが根拠がある。

 

それは人類が動物としての絶滅の

 

自然を乗り越えられるかという問い

 

だと、今は思う。

 

どうも絶滅しない動物・生物は今

 

まで現れていないようだ。人間種も

 

数多くいたが、全部絶滅して、ホモ・

 

サピエンスの僕らだけが残った。

 

これから人口が100億を目指して

 

膨張してゆくが、マウスの実験では

 

エサも棲み処も、増え続けるごとに

 

十分な環境を与え続けるが、途中か

 

ら凶暴な支配マウスが登場して、

 

そのグループ以外を締め出して

 

しまい、疎外されたマウスは無気力

 

になり、生殖も性が無差別になり、

 

ついには生殖もしなくなり、マウス

 

の数が2200匹を頂点に減少を始める。

 

支配マウスも長い間には減少して滅び、

 

残るのは無気力な家でごろごろして

 

いるマウスばかり。

 

それもやがて、消えてしまい、絶滅

 

する。これをいろいろ条件を変えて

 

ともかく、食料も水も棲み処も必要

 

に応じて与え続けた結果は、25回の

 

すべてでマウスの楽園は最後は絶滅

 

してしまうというものだった。

 

動物は身体的なすべてが満足させら

 

れると、ある一定の数より増える

 

ことはなくなり、減少化に入り、

 

マウスの場合2200匹、退廃と無気力

 

が残って、すべて絶滅するらしい。

 

 

人間は違うだろう。しかし、長い歴史

 

で見てみると、権力争いや、結果生ま

 

れる格差、子供への虐待、性の問わない

 

結婚、日本では引きこもりが100万人

 

と言われ、80歳の親が50歳の引きこも

 

りの子の世話をするのを8050問題とい

 

うらしい、それらはすでに起きている。

 

動物の本能的な行動は変えるのが難しい。

 

男も女も生理は我慢できない。

 

無気力になっても事態を重く受け止めて、

 

残りの無気力人類から立ち上がることは

 

可能なのか。それは未来の問題だから、

 

実際今、問題にしようというのは、気

 

が早い。

 

 

そして、絶滅だけではないシステムが

 

まだ隠されているかもしれない。そう

 

いう広大なものを感じるし、感じざる

 

を得ないのは少し異常か、神経質に

 

過ぎるのかもしれない。

 

だが、この絶滅についてはユニバース

 

25(マウス実験)を知る遥か前から

 

気づいていた。レミングの死の行進か

 

らだったが、この数の増えすぎた

 

レミングの行動はフェイクだったと

 

いう。自殺などしなかったと。

 

しかし、大量死という現象が、それ

 

はなくてもそれに代わる、何らかの

 

自然のシステムがありそうだとは思う。

 

この問題は人間にとっては簡単に翻訳

 

できるテーマだと思う。

 

つまり、僕らは絶望に対して(心に)

 

免疫をつくることができるか、という

 

問題になる。

 

僕はできると思う。それには現代の

 

文明や文化の悪化する傾向の罠から

 

の脱出を測らなければならないだろう。

 

それは罠をつくった自分(世間)と

 

知性(抽象化する習慣)から離れて、

 

生きた感覚で罠になってしまう現実

 

を直接見ることだ。時に心は隠れたり、

 

一時逃げたりは必要だが、諦めずに

 

何度でも前を向くことだ。

 

この言葉は長く言われ続けてきたが、

 

真に理解されたことは少ない。

 

ギリシャの神殿の入り口の柱にも、

 

書かれていたそうだ、汝自身を知れ、

 

と。

 

僕らはそれから2500年もの間、向き

 

合えずに大理石を細かく打ち砕く

 

ように、人間の脳細胞の仕組みが

 

ナノ単位でわかれば、人間の体ばか

 

りでなく、心の癖もわかるかのよう

 

に現実離れした夢という抽象の概念

 

の海の中を、顕微鏡を眺めて、さ迷い

 

続けている。

 

絶望にヒントがあるというのは、

 

よくない洒落で、考えたら、すぐに

 

わかり否定できる、皮肉のような

 

ものだ。

 

誰が絶望の中に50年も住もうと

 

するだろうか。絶望なんかと友に

 

なれるはずがない。話しにならな

 

いが、それがヒントになる話なの

 

だから、・・・・・。

 

僕らは矛盾している。

 

僕らはよりよく生きるために死ぬ

 

覚悟をするのかもしれず、よりよ

 

く死ぬために現在を生きようとす

 

るのかもしれない。自身を金字塔

 

にするために。

 

悲劇なのか、それとも笑い飛ばせば

 

いいのか。僕は笑いそうだ・・