ほんとうのことは、なかなか書けない、ということを

 

今まで言ってきた。それはストレートは投げてこなかった

 

よね、ととても近似のことなのだけれど、違うのは単なる”こと”

 

をストレートに言うのは、誰でもしている。みな、そう思って、

 

本音だということを言ったつもりになっているが、それに

 

ついてそうではない考えを言う段になっても、難しいのは

 

ひとつは文章技術ではなくて、表現の仕方が自分の位置、

 

または自分を置く位置についてわかっていなければならない

 

ことだ。大事なのはそこにおいて、自然と出てくる文が変わって

 

くるからだ。

 

もうひとつはそれがほんとうのことであればあるだけ、それに

 

ついてのある程度の経験をした者を選んでしまうということで、

 

子供に恋愛の心理などを説こうとするものはいないように、

 

本音のそれぞれの位置というもの、またその在り方というもの

 

がある種の経験も含んだ感覚に依らないと、伝わらない者には

 

まったく伝わらないからだ。感情的で、すぐに善悪一本で判断

 

してしまう者に重大さと緊急さとをそれについては何をもって優先

 

させるか、とかいうことをそれぞれをもって具体例で判断しなければ

 

ならないことなど、前提でわかってもらっていなければならない。

 

ということで、結論じみたことを言うと、全員に伝わる真なるものとか

 

いうのはない。それは幻想にすぎない。そして、全員に伝わらない

 

ものも、なにもない。文章の意味だけでも伝わるし、不十分ながら

 

その人の経験に応じた割合でその静かな迫力というものは伝わる

 

からだ。その人にはじめから適性があれば、その内容がわからなくても

 

やがてわかる。それで読み進んでしまうからだ。そういう本に出会った

 

ら、またいつか読み返すとまったく違う印象で読めるだろう。

 

つまり、あなたを楽しませた、ということだ。皮肉なことだが、あなたが

 

読んで面白い本が減った、またはなくなったというほうが、人はなにか

 

あなた自身についての真なるものがわかり始めている。

 

書く者と読む者との出会いは、次第にまれになるのはそういうことで、

 

世間が面白くて楽しくてしかたないとか、世間に不満ばかりが強く安らぎ

 

などない、というのは世間(自分)にどっぷりと浸かっているそれぞれの

 

症状と言える。

 

僕は4年前にブログを始めたが、自分でブログを書くというのは信じられ

 

なかった。はじめは3年くらい書き溜めていた文を毎日載せていた。それが

 

尽きて、さてどうしようかと書き始めたわけだが、いろいろとあったが、2年

 

くらいは毎日ブログを書くということが信じられなかった。それができるのは

 

書くのが楽しいからに決まっている。苦しかったら毎日、苦しもうとは

 

思わない。僕は偶然、集中のうちに入って、自分を半分失って、どんな

 

状態でも自分の部屋でパソコンの前に座れば書ける、という経験をした。

 

それもいろいろあったが、ともかくそれは楽しいことだった。文章を

 

固く考えずに、次から次へと出てくるのだから、楽しくないはずがない。

 

自由だから、自在だから楽しいのだ。と、今は自慢の話じゃない。

 

僕の話し相手は、とおおよそから僕は話し相手を決めていた。読者は

 

すでに選ばれていたのだ。当然ながら、それは特定の誰々ではないが、

 

話のきっかけをその人のブログから拝借してくるという次第では、或る

 

程度範囲のある誰々ではある。

 

その中で僕は支えられ、その人たちの一部を支えた。または、破壊した。

 

当時、と言っても初期の2年くらいだが、自分という標的を標的として

 

捉えるだけではなく、知り尽くす必要があった。と同時に話し相手を

 

2,3人に絞りたかった。それで僕のブログには知的理解と感情の

 

耐性がない者は離れていっても仕方ないと思っていた。

 

また、そうでもしなければ自分を知るとは、とても手加減してできること

 

ではないと、それまでに経験していた。

 

僕の詩を絶賛した気の毒な神経障害者だった人は、間違えた判断で

 

正しい行動をしようとして、自分の症状を悪化させてしまい、ブログから

 

消えてしまった。またある人は僕のブログを半分読んで、怖くなって読め

 

なかったことをメッセージで告げてくれた。

 

それは僕も恐れ入ってしまった。

 

30代の軽い強迫神経症の青年とクリニックで出会って、死に臨んだ精神的

 

な冒険を話した時も「その話は怖いです」と言って、僕をけん制した。それで

 

自分がそれほど人を怖がらせていたのを理解した。

 

だが、それはそれで仕方がないとした。レオナルド・ダ・ヴィンチも

 

ミケランジェロも絵の人間の筋肉を描くために、死体をもらったり、

 

買ってきては解剖した。解剖は絵でなくても、その当時医学のため

 

には必要だった。デカルトも晩年には医学に出会って、それまでは

 

興味のなかった解剖をしている。

 

解剖は、僕らにとって楽しいとは予想させないもので、考えるだけで

 

怖い。だから、怖くても避けられないものがある。

 

(それでも避けることはないのは、表現次第、オブラート・言葉次第

 

では笑いに変えることもできるのだ)

 

 

詩でも120行を超えてくると、まず徹夜になる。夜明けを迎える。

 

雇用(給与)の仕事に就いてからは、できなくなったので、また

 

しようとしてもそれだけの集中を必要とするテーマからは離れている

 

ので、徹夜はしなくなった。できないのかもしれない。

 

僕がほんとうのことは書けない、と言ってきたのはその秘密には

 

その秘密を打ち明ける本人には不利になることが、それも重大な

 

ことで誤解されるということが起こるので、なかなかそれを書くこと

 

ができないでいた。ところが、それが闇の全部ではないが、テーマ

 

でもあったのが、この世でも散在して見られるようになった。

 

結局、それについて書かなければ埒(らち)が明かなくなってきた。

 

それも推測の域をでないが、今後は機会が増えると思うので、書いて

 

しまうかもしれない。書くだろう。

 

そんなことを思いついて、書き出したら長くなってしまった。

 

 

また、話し相手というのは僕には顔も名前もわからないが、ブログの

 

読者でいたとしたら、30年後までの誰かへの中継ぎ役を想定した

 

ものだ。時代は確実に変わる。予測なんか必要ない。リンゴが木から

 

落ちるようなものだ。

 

数年前には人類のデザインという直感が訪れて、ずいぶん頭の中を

 

駆け巡っていた。その頃は自分がまたは中継者の数人がその設計を

 

すると考えていたが、今は、この世に手を付け始めたら「そうではない」

 

と考えが変わった。皆がデザインしてきたものが今の人類であり、

 

これからも僕らが皆で今のデザインを変えなければならない。そう

 

思うようになった。

 

仔細はこれから少しずつ、明らかにしていこう。