心的変化の中味は徐々に変化して、二段階に展開する。二番目は大展開
になったが、そのパターンは同じで、2日で起こる。その2日がとても長い。
今日もその延長にあり、気が付くと、まだ3日しか経っていないが、とても
長く感じる。ショックでテンションが上がって、考えれば手のつく端から
発展していってしまう。
少し、メモしておこう、と。
今日、驚いたのは今までうすうす感じてはいたが、どうもその線を
調べる価値があるとまで思えてきたことだ。それは夏目漱石・
芥川龍之介・太宰治をつなぐ一本の線である。それがはっきりとした
きっかけは「それから」を図書館で読んだことによる。ただ、10~15
分でパラパラ読んだのであって、体よく言えば、速読だが、ただの
飛ばし読みだと思ってもらってかまわない。
しかし、それができる時は頭がクリアな時に限られ、今回もスピードが
あっても代助が三千代に矛盾した告白をする場面は、ほぼ全文に
近く、読んだ。「それから」を読んだのは偶然で、実は「こころ」を
読もうとしたのだ。その「こころ」の前に「それから」が(全集版なので)
あったので、とりあえず、「それから」に眼を通してしまおうと、眺め
やったのだ。読んで、「こころ」につながる形が変わるのがわかった
ので、いずれ「こころ」を読んだ時には、そこが面白みになるだろう。
夏目漱石はやはり、謎で謎が増えるばかりで、例えば、初めに意外
だったのは、芥川の漱石への印象で、それは従来の漱石像ではなく、
心理的にカリスマ感を語るものだった。あの神経鋭い芥川が射抜く
くらいだから、理由がないはずはないだろうと思っていたが、「彼岸過迄」
といい、「坊ちゃん」や「吾輩は猫~」といい、書く視点が変わる。文章
表現の多彩さも申し分なくあるが、書く視点の多彩さもある。内容ばかり
に眼が行っていると木を見て森を見ず、森を見て山を見ず、になって
しまう。
ひところでは夏目の「こころ」、芥川の短編数編、太宰の「人間失格」が
青年の人気を象徴していたが、今でもそれらが売れているのだろう。
古い作家で中古本屋で文庫があるのは、そこら辺だからだ。
夏目漱石の全体はともかく置いておいて、「こころ」は自殺を中心に
おいている。芥川は漱石の門下に入り、優秀さを買われたが、ほぼ
1年しないで漱石の死を迎える。葬儀でもっとも大泣きしていたのは
芥川だったらしいが、ほんとうだろうか?かなりのショックは間違い
ないだろう。そして、芥川の自殺に、芥川に敬意をもっていた太宰が
若くしてショックを受ける。これは恐らく死のショックという連鎖反応
であって、彼らにとっては一本の線でつながった経緯であったと
思う。
なぜなら、漱石のロンドン時代に親友だった正岡子規の死に出会って
いる。それからショックでもともと不安定な神経をおかしくしてしまった。
僕が以前に驚いたのは「夢十夜」を読んだ時で、これは意識の裏側
を感じないと書けないと思った。(まだ当時は「意識の裏側」が言葉と
して捉えてはいなかったが)
そして、近年、漱石の年譜を見て驚いたのは、今まで「夢十夜」は
若い時に訪れるまぐれ当たりの特出した作だと思っていたのが、
あの修善寺の大患以後の作だったこと。かれが死を感じ取ったのは
間違いなかった。だから、「こころ」は青年のこころを打つのだ。
若さがもっている、死に対しての純粋な依存・憧れである。それは
戦後世代でも、太平洋戦争の特攻隊の大和魂なるものを賛辞する
気持ちとそう変わらないはずだ。
内容はそれぞれの文学でも動機は直線上にある。そんな感じが
した。漱石は晩年おかしくなったらしいが、精神は保っていたの
だろう。僕らの知らない、ギリギリなのか、余裕なのか、その交替で
なのかわからないが。
官僚で医者だった森鴎外も漱石の小説に惹かれて、自分でも小説
を書き始めた、と評論者は言う。鴎外の芥川への影響など面白い
ものがあり、その背景にどうしても明治の文明開化の騒がしさと
いまいましさ・苦り切った漱石の像を見てしまうのである。