スティーブ・ジョブスは天才だ、とソフトバンクの孫が言っていた。

 

僕は純粋に天才と呼べる基準が自分のうちにあるので、社会的な、経営手法と

 

いうテリトリーでの天才なら、その通りだと思うが、それなら人数はかなりいる。

 

ジョブスは信長タイプという意味での天才で、時代の先端を走った。事実は

 

もっと先を進んでいた。だから、もどかしくて先端を進まざるを得なかったのだ。

 

信長についても言及すると、終わるものも終わらないので、いずれとして、

 

僕自身の経験から話す。

 

僕は20代の頃だと思うが、マイコン(この当時は個人のパソコンをパーソナル・

 

コンピュータとは呼ばずに、マイコンピュータと呼んだ)が世の中に登場した。

 

僕は喜び勇んで買ったが、それはタイプライターに毛が生えた程度のもので、

 

主な機能はワープロだけで、漢字変換も満足にできなかった。プログラミング

 

にいたっては、ベーシックというソフトで選んだ数字からランダムに任意の

 

数字を発生させるとか、マッチ棒のようなものを画像で動かすとか、幼稚な

 

ものばかりでがっかりした。僕は口笛を吹いてそれを音符に起こしてくれて

 

作曲ができるとか、イラストで極彩色の動きと変化が起こせる、画面の

 

どこかをタッチするとさまざまなサイトの芸術的な画面を作成したり、移行も

 

できる、というそういうソフトを望んでいたし、想像していた。それは”あまり

 

にも遅れていた”。

 

まだ待たねばならないと、その時は諦めた。そういうアプリが登場するまで

 

20年待たねばならなかった。

 

20年経って、僕の期待するアプリが次々に登場したが、予想にないことが

 

起こった。それはインターネットの役割とその広がりだった。僕の知性は会話型

 

ではなく、研究型で話題を次々に変えて会話を楽しむという知的働きには乏しく、

 

その代わりに事実を積み重ねてその関連から、それらを収束する原理や法則を

 

導き出す、ということが得意だった。学者傾向とも呼べる傾向で、ネットは会話型

 

なので僕の不得意から、予想できなかったのだ。これは経営型の市場独占を

 

狙ったビル・ゲイツも予想できず、グーグルがネット検索から登場した時も、気づか

 

ず完全に追い越されてから、その市場価値にやっと気付いた。

 

人の知性は得意不得意があり、そのタイプによってやりたいことが異なる。

 

そこで僕も、20年後の予測などしていないことに気づいた。僕はパソコンで

 

なにがしたいかに早くから気づいていたのだ。僕がなにをしたいかに従っていた

 

だけで、人とのコミュニケイションよりも人の手を借りなくても、自分一人で

 

できてしまう夢のような技術を求めていた。だから、20年後に実現したアプリは

 

予想でもなんでもない。

 

ジョブスはこの自分の望むものに忠実でブレなかった。彼はスティーブ・ウォズ

 

ニアックというプログラミングの天才を得て、ガレージでパソコンを作り始め、

 

将来のアップル社になる。その初期の頃は仲間も他にいて、彼らはヒッピーだった。

 

神秘体験を求めてインドにも訪れている。ビートルズがインドにも行っているので

 

追体験したかったのかもしれない。

 

ジョブスは次々にパソコンを改革して新機軸を打ち出していった。が、それは

 

市場に送り出すまでは綱渡りのような新製品だった。新製品を3ヶ月後に出すと

 

発表しながら、そのプログラム基板がまだ完成していないことも、しばしばだった。

 

ジョブスは現状に疑問を投げかけるような質問をする社員や、自分のすべき

 

仕事に再確認をする社員は、その場でクビにした。これをカリスマ性と人は言うが

 

少し違う。半分は合っている。

 

ジョブスは最大限の力を引き出して、最短で仕事を完成させる決定をすることに

 

おいて、文字通り天才だろう。その直感力は強かった。

 

中心となる社員は常に精鋭で、ついていけないものはその仕事から外されたから。

 

その社員でも、はじめはジョブスの言うことは無理だと思った。まさに不眠不休

 

の3ヶ月のはじまりである。もう製品の発表日は決まっているから、それが

 

リミットだ。そして、プログラムが完成したのはその数日前、というタイミングだった。

 

すぐに待っていた工場を稼働させてフル生産で発売日に間に合わせるのだ。

 

こういう経験をすると、人は変る。できるかどうかわからないことは、今できることを

 

目一杯するだけで、反省や疑問を持つような悠長な暇はないのだ。そうして

 

できてしまう。つまり、逆転さよなら満塁ホームランだ。これは癖になる。

 

なぜ、それほど急がせるようなことをしたか、想像だが、ジョブスはその発売する

 

新製品は見ていないのだ。注目してはいない。その次に出す製品、またその次の

 

もの、と彼には最終製品が見えている。そこまで行けば、その次が見えそうだ。

 

だから、新発売の製品は彼にとってすでに過去のものなのだ!

 

そんなものを、今完成できなくてどうするのだ、冗談ではない、次が控えているのだ。

 

なにがなんでも完成させろ、当然のことだ、と彼は言いたいだろう。

 

ジョブスは夢を見ている。常に次の製品が見える。それは彼の中で製品はとっくに

 

完成しているからだ。頭の中で、すでにあるのだ!

 

ところが、役員は現場ではない。こういうやり方には不安を覚える。保守的な考え方

 

だが、役員とはそういう者が多い。そこでジョブスを社長の座から追い払ってしまった。

 

もっと手堅い経営をするプロの経営者を外から呼んで、首をすげ替えたのだ。

 

やがてアップルは経営不振に陥る。もう体質が変っていて、手堅い経営では精鋭

 

社員は満足しなかったのだろう。意気が上がらなかったのだ。

 

ジョブスはひとりでもやっていける男だから、アニメの世界で会社を立ち上げ、のちに

 

ディズニーアニメと手を組んで軌道に乗っている所だった。ついに、アップルから

 

もう一度もどってやってくれないかと、オファーが来た。

 

そして、アップルに戻ってからもタブレットを新しく次世代器で発売するなど、また

 

進撃を始めたのだ。

 

彼は直感的に動かせる機器を目指した。それはアップルの前の会社マッキントッシュ

 

時代から変らなかった。その実現のために技術開発を必要とした。それはすべて

 

新開発だった。なぜなら、その先にジョブスの理想とする機器があったからだ。

 

ジョブスは自分の感覚が喜ぶことは人も喜ぶ、だから売れる、と信じた。

 

それは幸運ではなかった。自分がなにをほんとうに喜ぶかを知っていた。それは 

 

人生を、社会を、そこから飛び出してインドまで行くという発想と行動から培われた。

 

偶然ではない。そう、ガレージからでも世界でまだ見てもいないコンピュータが

 

作れる、どこからでもいい、2,3人でもいい。それが世界を変え得るということを

 

たぶん、肌で知っていた。確信していた。だから、こんなところで止まってはいられ

 

なかったのだ。それは常に、いつもだった。そうして世界を駆け抜けた。

 

抜け目ない経営者らしく、名声も、いいところも、収入も持って行った。相棒のウォズ

 

ニアックは、引退後にそのことに文句は言っていない。ジョブス亡きあとも、自分は

 

ジョブスと出会えて幸運だったと言っている。 

 

ジョブスの場合、彼の理想は人生のけん引役で、多くの理想にありがちのただの

 

空想的な独りよがりや甘えではなかったのだ。