ソロ活動全力応援の意味
私のブログのタイトルは「ソロ活動全力応援」です。
ところが、自分の過去記事を読み返すと、
高橋大輔さん本人の“ソロの話題”は驚くほど少ない。
なぜか、元競技パートナーでありながら今も正式に解散していない
村元哉中さんの話題が圧倒的に多くなってしまった。
好きだからではなく、
“ソロ活動を応援するうえで避けられない問題”として
何度も向き合わざるを得なかったからだと思う。
そして気づけば、周辺に残った“濁り”が、
ソロ活動そのものの輝きまで曇らせて見えることがつらかった。
そして今回、
その“濁り”にどうしても向き合わざるを得ない出来事があった。
それが、
グランプリファイナルの“会場ナビゲーター”という異例の人選。
公式発表はここです。
大会公式
ここまでは事実として誰でも確認できる。
問題はその後の行動だった。
・ショー出演の自粛はなし
・Instagramのコメント欄制限
・Xの突然の鍵アカ化
・追加説明の欠如
・謝罪文と整合しない行動
これらを見て、「説明責任を果たした」と受け取ることは難しかった。
さらに、村元さんと相手男性(レイシー達也氏)の謝罪文が驚くほど似た構成と文体だったことも、“本人の言葉が見えない”印象を強めてしまった。
ファンダムの空気と「私たち」構文
もうひとつ、この問題が大きく影響した場所がある。
ファンダムの空気だ。
村元さん自身が2024年の総括で多用した We(私たち)構文。
当初は彼女固有の言い回しだと思っていたが、
擁護する一部ファンの中には、以前から
“私たち”として意見をまとめたがる文化があったようだ。
私は、この「私たち」に含められる感覚に強い抵抗がある。
柔らかい言葉で包む人もいれば、
異論を“否定すべきもの”として押し返す人もいる。
どちらも結果として、
多様な意見を封じる空気が生まれる。
その中でときどき、
応援の温度が高い言葉だけが“正解”のように扱われ、
そこから外れた感想が攻撃と受け取られそうな雰囲気を
私自身が感じた瞬間もあった。
この現象は、心理でいう
“母性原理の過剰な暴走” に近い。
母性原理とは本来、
「無条件に受け入れ、包み込む力」。
けれど、それが過剰になると
“区別すべきものまで飲み込んでしまう” 働きになる。
去年、擁護の空気の中に、
この“過剰な母性的な包み込み”が広がっていく瞬間を確かに感じた。
濁った部分を白で覆い隠しても、
生まれるのは透明な白ではなく、くすんだグレー。
曖昧にフタをした問題は、色が濁ったまま沈殿する。
向き合って線を引いたときにはじめて、本来の色が戻る。
高橋大輔さんの立場の変化と、切り離すべきもの
そして今年、大輔さんの立場は大きく変わった。
・日本フィギュアスケーティングインストラクター協会の新会員
・若い現役選手、未成年への指導の機会が増える
・滑走屋第二巻では現役選手出演の可能性が高い
・座長としての影響力が以前よりさらに強くなる
だからこそ、
去年の濁りを切り離せないまま進むことは、
本人の未来を曇らせかねない。
もちろん大輔さんが不適切な行動をしたとは思っていない。
ただ、“何を切り離し、何を守るのか”という線引きは、
座長であり指導者である彼にとって重要なテーマになる。
ここには、心理学でいう
“父性原理”=区別と線引き、自立を促す力
の要素が必要になる。
なお、“母性”“父性”という呼び名はあるものの、
これは性別の話ではなく、
誰の心の中にもある二つの働きを指している。
受け入れる力と、線を引く力。
どちらも場面によって必要になる。
ファンダムは本来、多様であっていい。
“私たち”にまとめられる必要なんてない。
異論は異論のままで存在していい。
私は、濁りで覆われたまま
「これが普通」「これが正しい」と押し流される空気には加担しない。
そして、
その空気が高橋大輔の“ソロの輝き”まで曇らせるなら、
なおさら自分の言葉で整理しておきたい。
そして最後に──応援の軸として残したいこと
高橋大輔さんは、今のところ、
誰か一人の選手をワンツーマンで持つ“専属コーチ”ではない。
けれど、彼が関わった若い現役選手たちが、
表現の質や自信の面で変化したと語っていることは確かで、
それは誇張しなくても自然に伝わってくる。
「すべてが大ちゃんのおかげ」といった極端な言い方をするつもりはない。
選手たち自身の努力が中心であることは当然だ。
ただ、彼がリンクに立つ人たちへ
“何かを残している”
その事実だけは静かに見えている。
この一年、応援の気持ちが揺らぐ瞬間は何度もあった。
それでも最後には、どうしても
“あの滑りが見たい”
という場所に戻ってきた。
私が応援したいのは、
高橋大輔さんのシングルのスケートと、
舞台やショーで見せるパフォーマンスそのもの。
いつまで彼がリンクに立ってくれるのかは分からないけれど、
シングルの演技を見られる機会が少しでも長く続くように、
静かに願っている。
この文章を書く理由
結局のところ、理由はひとつ。
私は、
高橋大輔のソロ活動をまっすぐ応援したい
という原点に戻りたい。
本来の魅力が曇って見えるのは、
どうしても我慢できない。
だから書く。
説明責任のことも、ファンダムの空気のことも、
そして指導者としてのこれからの重さも。
全部まとめて自分の言葉で残すことで、
もう一度「ソロ活動全力応援」という場所に立ち返れる気がしている。