濱口竜介監督の映画『ハッピーアワー』を観た。
省略がない。このあとこうだったんだろうなーとか、このシーンはこういう意味があるんだな、とかではなく、その瞬間をまるごと見せるやり方。ワークショップや朗読会に参加するシーンがあったら、そのイベントのはじめからおわりまでが全部そこにある。それがドラマのようなドキュメンタリーのような、他人の生活を覗き見しているような生々しさになって、5時間17分の上映時間が苦にならない。

主人公は30代後半の女性仲良し4人組。それぞれが抱える日常の問題を隠したり吐露したりする中で、そんなのおかしいと思う、とか、それはあなたに関係ない、とか、迷いながら言葉にしてゆく。他人の気持ちはわからない。自分だってふとした拍子に変化する(それぞれの女性の変化の瞬間がさりげなくてでも生き生きとしていて、好き)のだし。生身の人間の前に、正論も正義感もうわすべりだ。たしかなのは、そこにあなたの体温があること、そこに寄り添いたいと思うこと。

この登場人物の気持ち、わっかんないなー、迷惑な人だな。と一瞬思っても、その人が弱さや人間らしさを見せるシーンがかならずあって、全員が愛しくなってしまう。

街ですれちがうだけの人にも、それぞれ人生があって、生活があって、よろこびも、かなしみも、気まずさも、すべてある、という広がりが見えてくる映画。でも、それは映画を観た帰り道だけのことであって、わがままで忘れっぽいばかな私は、すぐに他人のことを想像する力を失ってしまうだろう。
他人のことを想像するのは、無理です。無理というところからはじめて、だからわかりたいんだ、というための言葉を交わして、ぶつかっても、たしかめあいたいよね、そしたら瞬間があるよね、という映画でもあると思う。全部が正しい登場人物は登場しない。うさんくさい人のなかにもなんか真実を見つける。「ハッピーアワー」という題の解釈は観る人によって違っていいと思うけれど、わたしにはこの、他人のいのちのぬくもりが垣間見える瞬間、のことに感じられた。



好きなシーンメモ
桜子の夫が横断歩道の前でうずくまるところ
あかりが鵜飼の妹とキスするところ
バスでよう子が、お父さん信じられないんですって話すところ
運転していた拓也が「ちょっと止まるわおれまだ死にたくない」って言うところ
ゆず吉が廊下から患者に手を振るところ
桜子の義母が息子をグーでなぐるところ
『親密さ』を思い出す、ふみがひとりで夜を歩くシーン
俺がうまれたの純さんのおかげだそうで、ありがとうっていうところ
などなど


東京では渋谷イメージフォーラムで1/22まで上映予定、これから全国で公開されるみたいです。ぜひ。



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最近ジョンレノンみたいなめがねを買ったわたしだけど、「イマジン」の否定がわたしのテーマでもある。想像してごらん、って言われても、想像できない。自分で体験したこと、みたこと感じたことだけしかわかりえない。だから行動する。世界のかけらをさわりにいく。