岡山大学で考古学を学んでいた頃、鳥取県倉吉市で、ある遺跡の発掘調査に誘われました。聞けば、芋穴を掘っていたところ、古墳時代(6世紀後半?)の子持壺形須恵器〈こもちつぼがたすえき〉という副葬用のうつわが見つかったとのこと。二つ返事で承諾して現地に赴きました。場所は、弥生時代の四隅突出形墳丘墓が見つかった阿弥大寺〈あみだいじ〉遺跡から南東へ1.3km離れた丘の上です。

 発掘がはじまって間もなく、クロボク土の下から黄色いローム層を掘り込んだ径4m、深さ80㎝ほどの大きな穴が見つかりました。穴の縁には9つの柱穴が掘りこまれていて、屋根を掛けていたようです。この穴の中を掘り下げていくと、驚いたことに25個の子持壺が5個ずつ5列に並んだ状態で出土したのです。見つかった子持壺には2つの種類がありました。一つは壺に円筒形の長い脚を付けたもので、高さは50㎝ほどあります。肩に4つの小壺を取り付けた壺には底がなく、脚とひと続きにつくられています。もう一つは高さ40㎝余りの大きな壺形をしていて、4つの小壺を取り付けた胴には透かし穴を開けています。このような子持壺は島根県東部でいくつか知られていましたが、鳥取県で見つかったのは初めてのことです。この屋根を掛けた穴はこうした子持壺の保管施設と考えられますが、これらがどこでつくられたのか、なぜ古墳に副葬されなかったのかといった疑問は未だに解明されていません。

 発掘調査から程なく国の重要文化財に指定された子持壺たちは、現在、倉吉博物館の展示室に並べられ、その奇抜な姿から来館者の関心を集めています。

 

発掘調査の様子(倉吉市教育委員会1983「上野遺跡発掘調査報告書」から)

 

子持壺の出土状況(倉吉市教育委員会1983「上野遺跡発掘調査報告書」から)

 

見つかった子持壺(倉吉市教育委員会1983「上野遺跡発掘調査報告書」から)