先月26日、ネパールと中国の国境で大規模な土石流が発生し、甚大な被害を出しました。橋や建物を次々と押し流し、ダムや発電所をも飲み込むその凄まじい光景には、戦慄すら覚えます。実は岡山県でも、土石流と思われる災害のあとを発掘したことがあります。それは、苫田ダムが建設された中国山地の深い谷間でのことでした(「ダムに消えた営みのあと」をご覧ください)。
平成8年(1996)、吉井川の岸辺に広がる田畑を発掘したところ、耕作土の下から奈良時代(8世紀)や鎌倉時代(13世紀)の集落あと(久田原遺跡)が見つかりました。さらにその下の砂礫層を掘り下げてみましたが、一抱えもあるような大きな石が顔をのぞかせるだけで、もはやこの下に遺跡はないものと思われました。ところが、その翌年に古墳時代(6世紀)の円墳(久田原古墳群)を調べていると、砂礫層を掘り込んだ周溝の底から黒い土が現れたのです。この近くでは縄文土器や弥生土器が出土する黒色土層が確認されていて、砂礫層の下により古い時代の遺跡が埋もれていることも考えられます。そこで、古墳や集落あとの調査を終えた後、重機を使用して砂礫層を除去してみると、やはり黒色土層が姿を現しました。その上面には小石が詰まった幅50㎝ほどの溝が幾筋か走っていて、中には大きな石が残っているものもあります。しかも、それらは北から南へとのびていて、吉井川の川筋と方向が一致します。どうやらこれらの溝は、大量の土砂とともに流れ下ってきた大きな石が地面をえぐったあとのようです。このように大きな石を巻き込みながら厚さ1mにもわたって堆積する砂礫層をもたらしたのは、発掘調査の報告書にあるような「洪水」などではなく、京都大学(現大正大学)の冨井眞さんが指摘するとおり「土石流」と見て間違いないでしょう。
それでは、この谷間を埋めるほどの土石流が生じたのは何時のことだったのでしょうか。黒色土層から見つかった最も新しい土器は弥生時代後期後葉(2世紀後半)、砂礫層から出土した最も古い土器は弥生時代末(3世紀前半)であることから、その間の出来事と思われます。幸か不幸か、土石流が起こったころの生活のあとは見つかっていません。どうやら人々は川の岸辺から丘の上へ住まいを移していて、この災害を免れることができたようです。この場所に再び人々が暮らし始めるのは飛鳥時代(7世紀前半)のことで、大規模な土石流に襲われてから実に400年余りが経過していました。
土石流の堆積物(岡山県教育委員会2005「久田堀ノ内遺跡」から)
