平成14年(2002)4月、美作岡山道の建設が計画されている赤磐市〈あかいわし〉土井遺跡を訪れました。まもなく始まる発掘調査を前に現地の様子を確認するためです。丘の斜面では墓地移転が行われて随所に真新しい土肌が露わとなっていましたが、そのうちの一か所で埴輪〈はにわ〉片が散らばっているのが見つかりました。あたりをよく観察すると、墓地で削られた崖〈がけ〉に埴輪が顔をのぞかせています。急な斜面ではありますが、古墳が存在する可能性を考えて調査にのぞむことになりました。

 5月に始まった調査では、まず崖の背後を発掘して古墳の痕跡を探りましたが、それと思われるようなものは確認できません。そこで、埴輪がのぞく崖を中心に掘り広げると、長さ5m、幅1mの範囲に積み重なった多数の埴輪片が見つかりました。この埴輪片を一つ一つ取り上げていくと、その下から仰向けに横たわる人形埴輪が姿を現したのです。高さが80㎝ほどあるこの埴輪は、胸に四角い盾〈たて〉を構えた「盾持ち人」で、墓をまもるためにつくられたものです。このほか、美豆良〈みずら〉を垂らした男子や巫女〈みこ〉と思われる女子の埴輪、角を生やした鹿の埴輪なども見つかっていて、総重量は450㎏にものぼります。調査の結果、これらの埴輪は斜面のくぼみに集められたことが分かりましたが、やがてその理由も明らかとなりました。ここから6m離れた場所で、古墳時代後期(6世紀)の埴輪窯が見つかったのです。この発見により、ここは窯で焼け損じた埴輪を廃棄した場所であることがようやく判明しました。

 現在、岡山県古代吉備文化財センターの展示室に住まう「盾持ち人」ですが、わずかに首をかしげ口を開いたその表情は、墓へ運ばれることなく窯場へ置き去りにされた悔しさを訴えているようにも見えます。

 

「盾持ち人」の出土状況(岡山県教育委員会2005「土井遺跡ほか」から)

 

「盾持ち人」(岡山県教育委員会2005「土井遺跡ほか」から)