広島県と境を接する井原市、その東部にある高越城〈たかこしじょう〉は室町幕府の奉公衆をつとめた備中伊勢氏の居城で、後に関東に雄飛する伊勢盛時(北条早雲)が若き日を過ごした場所と伝わります。その北側の山上には頂見寺〈ちょうけんじ〉という山岳寺院がありましたが、保元(1156~1159年)と天文(1532~1555年)の二度にわたって兵火に罹り、現在は千手院(大坊)、智勝院(南泉坊)、北之坊のほか、教壇坊、地楽坊、中之坊、西之坊、西林坊といった地名や、笠岡市に伝わる建長3年(1251)銘の梵鐘(県指定文化財)にその名残りをとどめるにすぎません。平成5年(1993)、この頂見寺跡の西端に広がる雑木林(字牛神)で、謎の石積みが見つかりました。

 それは、石材を積み上げた基壇の上に四角い石積みを7つ、さらに基壇から離れて1つの石積みを設けたもので、石積みの中央にある石室には焼き物が納められていました。この焼き物には胴の外側を板で叩き締めた痕が残っていて、倉敷市玉島地区で焼かれた亀山焼〈かめやまやき〉の中でもごく初期(12~13世紀)の特徴を備えています。この石積みは、焼き物に経典を納めた経塚、あるいは火葬骨を納めた墳墓が考えられますが、類例に乏しくいずれとも判断できません。しかし、およそ800年も前の石積みがほぼ当時の姿そのままに伝わるのは驚くべきことで、信仰の対象として大切に護られてきた様子がうかがえます。

 現在、牛神遺跡と名付けたこの石積みは井原市の史跡に指定され、保存のために取り出した焼き物は古代まほろば館で展示・公開されています。

 

頂見寺の寺坊と牛神遺跡(黒丸)

 

牛神遺跡の平・断面図

 

 

基壇上に設けられた石積み1・4・7

 

焼き物を納める石積み1

 

焼き物を納める石積み7

 

保存状態の良い石積み2

 

石積み2に納められた焼き物

 

石積み7から取り出した焼き物(亀山焼)