備前国分寺跡の西側にある赤磐市馬屋〈まや〉遺跡は、平成3~4年(1991~92)に山陽自動車道建設に伴って発掘調査が行われ、規則的に配置された奈良時代の建物群が見つかりました。この場所はその地名から古代山陽道の高月駅〈たかつきのうまや〉跡と推定され、これらについても館や厩舎と考えられています。

 この建物群の一画で、須恵器〈すえき〉と呼ばれる灰色をした焼きものが掘り出されました。稜椀〈りょうわん〉という宴会用の食器で、輪状のつまみの付いた蓋〈ふた〉が被さっています。食器内の土に含まれていた脂肪の分析結果から胞衣〈えな、出産の際に排出された胎盤等〉を納めたものと推定されましたが、400~500gほどある胞衣の容器としてはいささか小さいように思われます。また、公的な施設に胞衣を埋めるというのも不可解です。この食器の下には5枚の和同開珎が中央と四方に配されていたことからすると、建物を立てるのに際して行われた地鎮に関わる品ではないでしょうか。

 脂肪の分析方法については問題点も指摘されており、改めて検討してみる必要がありそうです。

 

須恵器と和同開珎の出土状況(岡山県教育委員会1995「馬屋遺跡ほか」から)

 

出土した須恵器(岡山県古代吉備文化財センター)