岡山市大岩墓所の調査(「岡山藩重臣の眠る墓」をご覧ください)を通じて岡山藩の葬制に興味を抱いた私は、自宅近くの矢坂山にある滝川家の墓所を訪れました。滝川家は織田信長に仕えた滝川一益の五男辰政にはじまり、代々禄高3000石で岡山藩の番頭〈ばんがしら〉を務めました。当主夫妻やその子女の墓石が30基ほど立ち並ぶ墓所の奥に、「滝川氏一宗之墓」と刻まれた、ひときわ小さな墓石があります。

 滝川辰政の孫にあたる一宗(1629~1674)は、藩主池田光政の庶女六姫(1645~1680)に見初められ、寛文2年(1662)にその婿となりました。けれども、六姫が嫁いだのはこれが初めてではありません。先夫の池田由貞(1634~1660)は禄高32000石の家老池田由成の嫡男でしたが、万治元年(1659)に六姫と結婚して以来その嫉妬に悩まされ、ついには出奔して切腹を命じられるという悲劇的な最後を遂げました。これに対し、滝川一宗との仲は睦まじかったようで、二人の間には3人の子供が生まれています。ところが結婚から12年後、一宗はにわかに乱心してこの世を去りました。一説には嫉妬に狂った六姫によって刺殺されたとも。享年46。将来を嘱望されていた二人の夫を死なせた六姫は、家中から「毒姫」と噂されながら岡山城の石山御殿で過ごし、その6年後に亡くなりました。

 あたりを憚るようにひっそりとたたずむこの墓石からは、由なくこの世を去らなければならなかった一宗の無念が伝わってくるようです。

 

岡山藩の番頭をつとめた滝川家の墓所

 

岡山藩主の娘婿となった滝川一宗の墓