倉敷市と総社市を結ぶ県道54号線を小田川から北へ1.5km走ると、左手にうっそうとした竹林の小山が見えてくる。これが吉備の巨石墳の一つ、倉敷市箭田大塚〈やたおおつか〉古墳(国史跡)である。近年、周辺の整備が行われて、その姿が容易に観察できるようになった。古墳の裾はずいぶん削り取られているものの、円筒や人形の埴輪を飾った直径46mの大形円墳であることが、整備に伴う発掘調査によって明らかとなっている。

 南に入口を向けた横穴式石室は全長19.1mを測り、総社市こうもり塚古墳(「吉備路の巨石墳」をご覧ください)に匹敵する規模をもつ。奥壁に使用された一枚石は高さ4m、幅3m、二段に積まれた側壁の石材も長さ2mほどあって、こうもり塚古墳より大きな石材が使用されている。このことは、より進んだ技術が駆使されたことを意味しており、出土した土器などからも、こうもり塚古墳より新しい6世紀末の築造と推定してよいだろう。

 長大な玄室〈げんしつ〉につくり付けられた3つの石棺は、自然の板石を組み合わせた簡素なもので、豪壮な石室とは一見不釣合いのように思われる。浪形石〈なみがたいし〉の産地に近いにもかかわらず、その石棺が使用されていないことは、こうもり塚古墳の後継者を中心とする吉備中枢の勢力とは一線を画す存在であったことを示している。            (岡山県教育委員会2005「教育時報」673号)

 

横穴式石室の入口

 

入口から見た羨道〈せんどう〉

 

玄室の内部