総社市街から高梁川を20kmほど遡ると、深緑の山間に開けた町並みが現れる。備中松山藩5万石の城下町、高梁である。市街を流れる紺屋川〈こうやがわ〉に沿って歩を進めると、建ち並ぶ白壁の商家が城下町としての歴史を感じさせる。その一方で、県内最古の教会建築である高梁基督教会堂(県史跡)や、女子教育発祥の地である順正寮跡(県史跡)、洋風建築の高梁尋常高等小学校本館(市重要文化財)などは、山間の地にありながら進取の気性にとんだ先人たちの息吹を今に伝えている。

 この城下町を南に見下ろす標高470mの臥牛山〈がぎゅうざん〉は、吉備高原の冷涼な気候のもとに育まれた緑ゆたかな森林と、ニホンザル(国天然記念物)をはじめとする貴重な動植物の生息地として高梁川上流域県立自然公園の特別地域に指定されている。備中松山城は、この臥牛山の4つの峰にまたがって築かれた中世~近世の山城跡(国史跡)である。

 現在、県立高梁高校となっている備中松山藩の政庁跡(県史跡)を横目に見ながら川沿いの道をたどると登山口の案内板が見えてくる。備中松山城への道は中国自然歩道の一部として整備されている。また、平日であれば、臥牛山の中腹に設けられたふいご峠駐車場まで車で行くこともできる(休日は麓の駐車場からシャトルバスが運行されている)。ここから本丸までは30分ほどの道のりだ。その途中に残る高石垣は中太鼓櫓跡〈なかたいこやぐらあと〉。登城の合図を太鼓で伝えていた場所で、高梁市街を一望できる格好のビューポイントだ。長い石段を上るとようやく大手門跡にたどりつく。ここを入ると、三の丸から厩曲輪〈うまやぐるわ〉・御膳棚〈ごぜんだな〉・二の丸と階段状に並ぶ曲輪の石垣が重なりあって、壮観な眺めが味わえる。ことに大手門前から見上げた姿は、そそり立つ岩盤を巧みに利用して築かれた石垣に土塀の白壁が映えて美しい。小松山の頂きに築かれた本丸は、近年復元整備が行なわれ当時の姿が再現された。中央にそびえる二重の天守(国重要文化財)は、現存する12の天守の中で最も規模は小さいが、山城に残る城郭建築として貴重な存在である。

 さて、この城のもう一つの見どころは北側の峰々に残る中世城郭だ。小松山を隔てる堀切を越えると、「備中兵乱記」に見える相畑城戸〈あいはたのきど〉や天神の丸、大松山といった曲輪が次々に現れる。また、天神の丸と大松山の間の窪地につくられた大池は、この城の貴重な水源であり、受城使として訪れた大石内蔵助〈おおいしくらのすけ〉の書状にも詳しく記されている。周辺は一昨年の台風により倒木被害を被ったが、かえって眺望が開ける結果となった。大池からつり橋へ向かって山を下ると、尾根伝いの侵入を防ぐ切通や番所跡の石垣が残っている。

(「備中松山城をまもる」へ続く)

                 (岡山県教育委員会2006「教育時報」684号)

 

中太鼓櫓跡の石垣

 

幾重にも重なる石垣

 

復元整備された本丸

 

山城に残る唯一の天守(国重要文化財)

 

天守の背後を守る二重櫓(国重要文化財)

 

台風による倒木被害を受けた大池