平成23年9月3日に日本を襲った台風12号は、世界文化遺産に登録されている和歌山県の熊野古道に大きな爪痕を残しました。今から900年前、平安貴族たちがこの道を通って参詣した熊野三山の一つが、落差133mという我が国最大の名瀑を御神体とする那智〈なち〉大社でした。

 この那智大社にゆかりのある場所が勝央町内にあります。鎌倉時代、勝間田地区一帯に開かれた勝田〈かつまた〉荘です。その推定地の一画を占める黒土〈くろつち〉の大河内〈おおこうち〉遺跡や藤ヶ瀬遺跡では、床面積が100㎡を超える大きな建物跡が見つかったほか、当時の高級食器であった中国製の陶磁器も数多く出土していて、荘園の経営に携わった地元の有力者の居宅であったのかもしれません。また区画整理が行なわれる以前、この一帯に見られた碁盤の目のような地割(勝間田条里)も、荘園開発の名残りと思われます。勝田荘は長らく那智大社の貴重な財源となっていましたが、次第に武士に蚕食されたあげく、室町時代にはその手を離れて京都の大寺院の間を転々とし、ついには三星〈みつぼし〉城主後藤氏の支配するところとなりました。

 現在町内では、那智大社との関りを示すものを目にすることはできませんが、平安貴族の信仰を支えた荘園の痕跡は、今も地下深くに眠っているのです。 

(勝央町2013「広報しょうおう」688号)

 

大河内遺跡の大型建物(岡山県教育委員会2008「大河内遺跡ほか」から)